昭和・20世紀の出来事
団塊世代とアンノン族は、日本の消費シーンをことごとく変えて来た世代です。 彼ら・彼女らが、自由な時間が増えて元気なら、その自由な時間を度に使うかもしれません。 そうなれば、日本の観光シーンも変わってしまうかも・・・
今週のお題「SFといえば」 「白鳥座61番星」というタイトルの子供向けSF小説を読んだのは、昭和37年だったか38年だったか定かでないのですが、年老いた珈琲豆焙煎屋が小学5年生か小学6年生だった頃のことです。 夏休みに小学校の図書室で借りて読ん…
昭和60年(1985年)、吉田義男監督率いる阪神タイガーズが、昭和39年以来21年ぶりリーグ優勝を果たして、西武ライオンズと争った日本シリーズも制しました。 真弓・バース・掛布・岡田、それに大けがから復帰した佐野らに代表される200発打線の威…
1970年(昭和45年)、大阪で万国博覧会が開催された年、その年の3月3日、桃の節句の日に、新しい女性雑誌「アンアン」が創刊されました。 芸能雑誌の「平凡」や若い男性向け雑誌「平凡パンチ」を発行していた平凡出版社(現、マガジンハウス)が、新しい…
「夜空の星」の演奏で物語が始まる『エレキの若大将』ですが、加山雄三主演の映画『若大将シリーズ』の中で一番面白いと年老いた珈琲豆焙煎屋は思っています。 でも、小生は、10数作品ある映画『若大将シリーズ』の全作品を観ているわけではありません。 …
出発(旅立ち)の時に一番似合っている飲み物、それはコーヒーなのかもしれません。 ニューヨークに出て来て、グリニッジ・ヴィレッジ周辺のフォーク・ソングを聴かせるクラブやコーヒーハウスなどで弾き語りをしていたボブデュランが、喫茶店でコーヒーを飲ん…
10年近く前、2012年の1月14日、土曜日だったと思います。 午後9時から、重松清さん原作の小説「とんび」をドラマ化した、NHK版「とんび」の後半を、どういういきさつだったのか忘れたのですが、たまたま観ることになって、10数分も経たないうち…
昭和22年~昭和24年に生まれた団塊世代の小学生時代は、月刊漫画雑誌と貸本漫画が全盛だったわけですが、その後に続く世代の小学生時代には、もう週刊少年漫画雑誌が創刊されていました。
この年齢(もうすぐ69歳です)になって、「一番好きな音楽は」と聞かれると、1970年代前半の音楽だと答えます。 フォークソングに限らず、あの時代の音楽が、身体のどこかに染み付いているわけです。
1970年当時、東京六本木界隈の外食価格です。以下、赤木洋一さんの『アンアン1970(平凡社新書)』からの引用です。 1970年3月創刊の『アンアン』創刊号に掲載されていた、イラスト地図つきレストランガイドの記事のごく一部です。 外国人観光客…
ハリウッド映画「努力しないで出世する方法」でも、主人公は出世するためのハウツー本を参考にして、出世するための努力をしていました。 物語の世界でなら、オーディションを受けなくても、俳優養成所に通わなくても、偶然の出会いがあれば簡単に俳優になる…
2009年7月18日、ニューヨークタイムズの「経済環境が日本の政治を追い込んでいる」という記事の一部分を大雑把に解釈させて頂いて、その要約記事をブログに投稿したことがあります。 その記事を、「エカワ珈琲店の出来事」に再掲載しました。 豊田三…
小生、昭和50年代に社会人となり働き始めました。カラオケが登場したのも、昭和50年代だったと思います。 社会人になった頃、高度経済成長は終了していましたが、日本経済はまだまだ元気で成長街道を走り続けていて、サラリーマンの収入は毎年毎年増え続…
1970年前後、まだ10代だった頃の出来事から21世紀の現在(2020年)の出来事に至るまで、小生(年老いた珈琲豆焙煎屋)の周辺でおこった出来事なら、鮮明にというわけでは無いのですが、大雑把になら、ほぼ記憶に残っています。 私(年老いた珈琲豆焙…
1970年の1月から3月にかけて、「芥川賞」を受賞したばかりの小説、『赤頭巾ちゃん気をつけて』がベストセラー街道を突っ走っていました。
小生は69歳ですが、最近(2020年秋)、何故か、ユーチューブの映像をテレビ画面で眺めながら昔懐かしいフォークソングを聴いたりしています。 フォークソングと言っても、好みの問題かもしれませんが、懐かしさのこみ上げてくる曲と、それほど懐かしく感…
*1 年老いた珈琲豆焙煎屋は、『人間的な-かっこいい貧乏人の人生四毛作論(三五館発行)』を読んだことが無くて、その事を宇田川悟さんの著書「VANストーリーズ(集英社新書)」で知りました。 『人間的な-かっこいい貧乏人の人生四毛作論(三五館発行)』は…
今週のお題「好きな漫画」 只今68歳ですから、さすがに漫画を読むことが無くなりました。しかし、50歳くらいまでは漫画と親しんでいたわけです。 10代の頃は、週刊漫画雑誌を購入して漫画を読んでいました。20代になると、漫画の単行本を買って来て…
累計販売部数200万部、発表から半世紀以上経過した現在(2018年)でも読み継がれている、柴田翔が描くある若者たちの青春物語、「されど、われらが日々」の芥川賞受賞は、1964年(昭和39年)、東京でオリンピックが開催された年です。 それから50…
東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)は、今から振り返ると、何故か活気を感じる年だったような気がします。 最近は少ないのですが、2010年代の中頃から後半にかけて、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)頃、喫茶店で飲…
エカワ珈琲店の前身は「純喫茶コロナ」という屋号の喫茶店で、結構繁盛している喫茶店でした。(1960年代の話です) 1960年代、アイスクリーム用冷凍ボックスを購入して、パフェやクリームコーヒー(アイスコーヒーフロート)、それに女性に人気のあった…
昭和30年頃の日本、皆忙しく朝から晩まで働き続けていた時代です。日曜日に休めれば良いほうで、盆・暮れ以外は、朝から晩まで働きづめという人がたくさん存在していた時代です。 長距離交通の手段は、列車だけという時代で、朝早く東京を出発して、大阪到…
1975年(昭和50年)、「22歳の別れ」や「我が良き友」、それに『あんた、あの娘の何なのさ』のセリフが入る「港のヨーコ、ヨコハマ・ヨコスカ」が巷で流れていた1975年(昭和50年)、その年の4月に何とか大学は卒業できたのですが、就職すること…
ミネルバ茶房は、1968年(昭和43年)に発表された、五木寛之の小説『ソフィアの秋』の舞台となった架空の喫茶店です。
21世紀の現在(2019年)に生きる若い人たちには、石坂洋二郎の小説「青い山脈」は古典だと思いますが、67歳の年老いた珈琲屋には青春小説のままです。 年老いた珈琲屋が、石坂洋次郎作品「青い山脈」を読んだのは、昭和40年代前半で10代の中頃、も…
昭和32年9月、大阪市の京阪本線千林駅前商店街に、後に日本一の小売業者となる『主婦の店ダイエー』がオープンしました。 最初、薬だけの販売でしたが、すぐに食品類も取り扱うようになって、翌年昭和33年の12月には、神戸市に三宮店をオープンします…
写真家長友健二さんが30歳の頃、編集長をしていた芸能週刊誌、それが『週刊ハイライト』です。昭和37年(1962年)の夏創刊で、日本ジャーナルプレス社という出版社から発行されていました。 昭和33年に『週刊実話』の発行を開始した出版社で、最初、…
昭和44年(1969年)の秋、トワ・エ・モアが歌う「ある日突然」がヒットしていました。「ある日突然、二人黙るの・・・」で始まるこの歌は、友達から恋人同士にある日突然変わった瞬間の物語です。 それと同じタイプの「ある日突然」が、その11年前、昭…
ギターなどの電気楽器を中心に数人で編成される、演奏及び歌唱を行うグループで、1967年(昭和42年)初夏より1969年(昭和44年)春にかけて日本で大流行したのがグループサウンズだとウィキペディア/グループサウンズは説明しています。 1967年の初夏、…
エカワ珈琲店の前身は、現店主の母親が営んでいた昭和の喫茶店です。その純喫茶コロナですが、1960年代にお酒とコーヒーを混ぜ合わせた飲み物をメニューに載せていたことがあります。 お酒とコーヒーを混ぜ合わせるだけで、コーヒー1杯の2倍~3倍くら…