1970年当時、東京六本木界隈の外食価格です。以下、赤木洋一さんの『アンアン1970(平凡社新書)』からの引用です。
1970年3月創刊の『アンアン』創刊号に掲載されていた、イラスト地図つきレストランガイドの記事のごく一部です。
外国人観光客にも人気のある鳥長はやきとり1本80円、きじやきどんぶり250円。立木義浩が推薦している。
俳優座裏の越は、おふくろの味で一杯やる店。ぞうすい320円。(関口宏推薦)
同じく俳優座並びのスイス・インはフォンデュ2000円(コシノジュンコ)。
狸穴そばの天ざる350円(宇野亜喜良)、モデルの杉本エマが「いまさらって感じですが」と推すキャンティのスパゲティは450円とある。
ちなみに、グラビア雑誌『アンアン』は、1冊160円でした。
半世紀が経過した2021年になっても、まだ継続して発行されています。当時、20歳前後だったアンノン族も、今は70歳前後のシニア女性です。
1970年3月14日・土曜日、大阪府吹田市の千里丘陵で、「大阪万博EXPO'70」が開幕しました。
一般公開は3月15日・日曜日からでした。
和歌山市から会場まで、南海電車・大阪市営地下鉄を使って2時間程度です。
年老いた珈琲豆焙煎屋は、高校を卒業して大学予備校通いの生活だったのですが、4月・5月と、二度ほど同級生の友人たちと見学に出かけた記憶が残っています。
「月の石」を展示しているアメリカ館などの人気パピリオンを避けて、行列の少ないパピリオンを中心に見学したものです。
そして、梅雨の時期ともなると、もう興味が無くなっていました。
外国では、航空機ハイジャックが、たびたび起こっていましたが、ついに、日本でもハイジャックが発生しました。
3月31日、赤軍派による日本航空のよど号ハイジャック事件です。
外国のハイジャック事件では銃が使われたのですが、よど号ハイジャック事件で使われたのは日本刀でした。
日本刀を振りかざすハイジャック犯の写真が、世界中に配信されました。
日活映画「ハレンチ学園」が、5月のゴールデンウィークに封切られました。
原作は、「少年ジャンプ」に連載されていた永井豪さんの漫画です。
主人公の十兵衛役は、18歳の「児島みゆき」さんでした。
「ハレンチ学園」は、興行収入5億円の大ヒットだったと、当時のスポーツ新聞で読んだ記憶がありますが、この映画を観た記憶がありません。
「ハレンチ学園」はシリーズ化して、この年に何本か制作されたのですが、1作目だけが日活独自の配給で、2作目以降は、日活と大映の共同配給会社ダイニチ映配が配給しています。
演歌の星と呼ばれた藤圭子さんが歌う曲が、連続して大ヒットした年です。
1969年(昭和44年)の秋、『新宿の女』で歌謡界に登場した藤圭子さんは、1970年に入ってから、『生命ぎりぎり』・『女のブルース』・『圭子の夢は夜ひらく』・『命預けます』とヒット曲を連発します。
「石坂まさを」さんの作詞で、何となく17歳の少女の暗さを感じさせる歌でした。
1970年の日本は、高度経済成長の最終段階に入っていましたが、貧困や社会的な暗さが街のあちらこちらに存在していた時代です。
1970年の9月に発表された、昭和44年(1969年)の脱税業種ワースト10を紹介します。
1位が同伴旅館(今のラブホテル)、2位がトルコぶろ(今のソープランド)、3位が日本そば屋、4位が小料理屋、5位がバー、6位が書店、7位がキャバレー、8位が食堂、9位が普通旅館(駅前旅館)、10位が不動産仲介、
となっています。何となく、時代の雰囲気が感じられます。
21世紀の現在と違って、町の自営業者が中産階級の中核を形成していた時代でした。
30人以上の事業所を対象に調査した平均月額給与ですが、1969年の6万4300円から、1970年には7万5700円と約18%も増えています。
消費者物価も、対前年比で7.7%増加していて、経済が急速に成長していたのを数字で実感することができます。
藤圭子さん以外が歌って1970年に流行した曲で、覚えている曲を書き出してみました。
渚ようこさんの「京都の恋」、ベンチャーズが作曲した曲です。
山本コータローとソルティーシュガーの「走れコータロー」、美濃部東京都知事の声真似で注目を浴びました。
左卜全とひまわりキテイーズの「老人と子供のポルカ」と皆川おさむ少年の歌う「黒猫のタンゴ」は、ほとんどの小学校の運動会で使われた曲です。
ビートルズの「レット・イット・ビー(Let It Be)」、ビートルズ最後のシングルレコードで、日本で発売されたビートルズのシングルレコードで最大の売上となったそうです。
11月25日、小説家・劇作家で、戦後日本文学を代表する作家の一人である三島由紀夫さんが、自衛隊市ヶ谷駐屯地で、日本刀を使って割腹自殺したニュースが流れました。わけもわからずに、ただ呆然とテレビの映像を眺めていた記憶が残っています。
この年、トヨタ自動車から「セリカ」が発売されて、当時の若者たちのあこがれの自動車の一つになりました。価格は約57万円でした。
年末、12月31日、帝国劇場で行われた第12回レコード大賞は、菅原洋一さんの歌う『今日でお別れ』という曲でした。
年老いた珈琲豆焙煎屋はというと、地元の大学予備校に在籍していたのですが、講義に出席したのは夏頃までで、夏休みが終わってからは、ほとんど出席することもなく、年末ともなると、パチンコホールで過ごす時間が多くなっていました。