エカワ珈琲店の出来事

年老いた珈琲豆焙煎屋の日常と仕事の出来事、それと備忘録・雑記帳。

青春のグループサウンズ

ギターなどの電気楽器を中心に数人で編成される、演奏及び歌唱を行うグループで、1967年(昭和42年)初夏より1969年(昭和44年)春にかけて日本で大流行したのがグループサウンズだとウィキペディア/グループサウンズは説明しています。

1967年の初夏、ザ・タイガーズが歌う「シーサイド・バウンド」が街中で頻繁に流れていました。これが、あの異常なグループサウンズブームの始まりだったのだと思います。

100年後の日本人に残したい…究極のグループ・サウンズ

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ザ・タイガーズは、その後、ヒット曲を連発して、1967年(昭和42年)初夏から1969年(昭和44年)春にかけて発生したグループサウンズブームの先頭を走っていました。

ザ・タイガーズのボーカルだった沢田研二さんの人気はすさまじくて、彼の長髪を真似した青年を街のあちらこちらで見かけたものです。

 

ザ・スパイダーズの「いつまでもどこまでも」、ザ・ジャガーズの「君に会いたい」、ザ・ワイルドワンズの「思い出の渚」、ヴィレッジシンガーズの「バラ色の雲」、ブルーコメッツの「ブルーシャトー」、ザ・テンプターズの「神様お願い」などがテレビやラジオから頻繁に流れて来ていました。

1967年のレコード大賞を受賞したブルーコメッツが歌う「ブルーシャトー」と、ワイルドワンズの「思い出の渚」、ヴィレッジシンガーズの「バラ色の雲」は、シングルレコードを買った記憶があります。

 

1967年(昭和42年)初夏から1969年(昭和44年)春にかけて発生したグループサウンズブームですが、突然に発生したわけでは無くて、前年(1966年/昭和41年)から、その流れが存在していたのだと思います。

加山雄三主演のエレキの若大将がヒットして、ブルーコメッツが歌う「青い瞳」やザ・サベージの歌う「いつまでもいつまでも」やスパイダーズの歌う「夕陽が泣いている」がヒット曲となっていたわけですから。

 

1967年(昭和42年)初夏から始まったグループサウンズブームですが、1969年(昭和44年)春以降、急速に衰えて行きます。そして、1971年(昭和46年)1月、グループサウンズ屈指の人気を誇っていたザ・タイガーズが解散しました。

「グループサウンズの曲は最高だけれど、あの歌詞は何とかならないものだろうか」と作家の五木寛之さんが何かで書いていたのを、何となく何となく記憶しています。もしかしたら、記憶間違いかもしれませんが。