昭和60年(1985年)、吉田義男監督率いる阪神タイガーズが、昭和39年以来21年ぶりリーグ優勝を果たして、西武ライオンズと争った日本シリーズも制しました。
真弓・バース・掛布・岡田、それに大けがから復帰した佐野らに代表される200発打線の威力は絶大でした。ちなみに、バースは、球団初の三冠王に輝いています。
この年(1985年/昭和60年)、あの痛ましい日本航空123便墜落事故が発生しています。
年老いた珈琲豆焙煎屋は脱サラ前の職場で勤務していて、その日は宿直勤務だったので、職場の宿直室でテレビを見ていて墜落事故を知りました。
この事故で、年老いた珈琲豆焙煎屋と同じ町内に住んでいる方の息子さんが亡くなっています。
阪神球団社長だった中埜肇さんも、たまたま日本航空123便に乗り合わせていて墜落事故に巻き込まれたという話をスポーツ新聞で読んだ記憶があります。
この事故が発生するまで連勝街道を走っていた阪神タイガーズですが、この事故が発生した日の巨人(ジャイアンツ)との試合から6連敗して首位から陥落してしまいます。
その後、結束を固めた阪神タイガーズは、リーグ優勝に向かって進んで行ったという話は有名です。
阪神タイガーズのリーグ優勝が決まったのは、10月16日です。11月2日には、西武ライオンズを破って日本シリーズでも優勝。シリーズMVPはバースでした。
阪神タイガーズが日本シリーズで勝利した2週間後、土曜日と日曜日を利用して、泊まり込みで職場の阪神ファン総出の祝賀会が勤務先の保養所で開催されました。
もちろん、阪神ファンだった年老いた珈琲豆焙煎屋も出席しています。
その祝賀会に、阪神ファンだけでは面白くないということで、何故か、職場の巨人ファンを何人か招待していたのを覚えています。
何故、2日間泊まり込みで祝賀会を開催したかという理由です。
24時間誰かが働いている職場でしたから、宿直勤務、当直勤務の阪神ファンでも、どちらかの日の祝賀会に出席できるからです。
巷では、阪神タイガーズの応援歌「六甲おろし」が頻繁に流れていました。
そして、阪神タイガーズ優勝の経済効果がマスコミの話題となっていました。
阪神タイガーズが優勝するまでは円高不況と言われていたのですが、リーグ優勝が決まった当たりから、日本はバブル経済の時代に突入して行ったような気がします。
この年、電電公社が民営化されて日本電信電話(NTT)になって、2年後の1987年2月に東証に上場すると、瞬く間に、売り出し価格120万円の2倍以上に急騰しました。
抽選だったと記憶しているのですが、売り出し価格でNTT株を手に入れた人たちは、あっという間に100万円以上の受動的利益を手に入れたわけです。
ちなみに、年老いた珈琲豆焙煎屋も職場の皆と一緒に抽選に応募したのですが、残念ながら落選しました。
それから30数年の年月が経過しているのですが、何故か、昭和60年(1985年)の出来事は色々と覚えています。
この年から数年が経過して、年老いた珈琲豆焙煎屋は意を決して「脱サラ」しました。
「脱サラ」前の職場は、一生安泰を保証してくれている職場でしたから、思い切った冒険だったわけです。