東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)は、今から振り返ると、何故か活気を感じる年だったような気がします。
最近は少ないのですが、2010年代の中頃から後半にかけて、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)頃、喫茶店で飲むコーヒー1杯の値段についての問い合わせが多かったので、それを機会にして、昭和39年頃のエカワ珈琲店とエカワ珈琲店周辺の出来事を振り返ってみたことがあります。
純喫茶コロナ物語
2007年の春頃のことだったと記憶しています。何故、東京オリンピックが開催された頃の喫茶店に関する問い合わせが多かったのかと考えると、当時「エカワ珈琲店のホームページ」に純喫茶コロナ物語というコラム記事を掲載していたからだと思います。
純喫茶コロナ物語ですが、現在(2019年)は有料記事に衣替えして、note にて有料公開しています。
昭和39年頃のコーヒー1杯の値段
エカワ珈琲店の前身は、昭和30年の秋に創業した地方都市のビジネス街に立地する小さな喫茶店で、屋号は「純喫茶コロナ」と称していました。
昭和39年(1964年)、エカワ珈琲店の店主は、まだ中学1年生でした。母親が喫茶店を経営していたので、当時の喫茶メニューについては、漠然としてですが覚えています。
当時、コーヒー1杯の価格は60円くらいだったと思うのですが、はっきりと、自信を持って断言することができません。ただ、コーヒー1杯の値段とラーメン1杯の値段が同じくらいだったのを記憶しています。タクシーの初乗り運賃もそれくらいの値段だったと記憶しています。
昭和39年の出来事
1960年代の前半は喫茶店の黄金時代で、朝から晩まで、ひっきりなしにお客さんが来店してくれた時代です。ちょうど、最盛期のスターバックスと同じような状況で、経営者にとっては、笑いの止まらない日々が続いていました。
中学1年生といえば、ちょっとおませになって来る年齢ですから、大雑把なのですが、時代の雰囲気みたいなものも、50年以上経過した今(2019年)でも覚えています。
そこで、喫茶店でのコーヒー1杯の値段はさて置き、昭和39年の出来事を書き出してみることにしました。
平凡パンチ
昭和39年の5月、当時の若者に、ものすごく影響を与えることになる『平凡パンチ』が創刊されました。
この『平凡パンチ』に影響を受けた世代も、今(2019年)では、60代、70代のおじさん(orおじいさん)です。
当時、時代をリードするメディアは、おそらく、雑誌メディアの中に存在していたのだと思います。
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東京オリンピック
1964年、昭和39年といえば、やはり『東京オリンピック』です。
94の国と地域が参加した、このスポーツの祭典で、日本は、金メダルを16個、銀メダルを5個、銅メダルを8個獲得しています。
東京オリンピックの記念切手を購入するのに、朝の早くから郵便局の前に並んだ記憶があります。
当時の少年たちの間では、少年雑誌の影響だと思うのですが、記念切手を定価で購入して値上がりを期待するという遊び(記念切手の収集)が流行していました。
少年雑誌に掲載されている切手商の広告を見て、一喜一憂していました。
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御堂筋決戦
セリーグでは阪神タイガース、パリーグでは南海ホークスがリーグ優勝を飾り、大阪の北に本社のある阪神電鉄と、南に本社のある南海電鉄の対決ということで、この年の日本シリーズは、『御堂筋シリーズ』と呼ばれました。
当時のエカワ珈琲店の店主は、阪神タイガーズのファンでした。68歳の現在(2019年)も阪神タイガーズのファンであることに変化は無いのですが、阪神タイガーズに対するファン度はものすごく低くなっています。
この年の夏休み、阪神甲子園球場で開催される阪神戦を2度観戦しに行きました。
行き返りの交通手段に、南海電車と大阪地下鉄、そして阪神電車を使うのですが、難波発和歌山市駅行き南海電車の終電の都合で、2度とも試合の途中で甲子園球場を後にしたのを覚えています。
漫画週刊誌、芸能週刊誌、スポーツ新聞
東海道新幹線が全面開通して、名神高速道路も、ほぼ全線開通した年です。
西郷輝彦のデビュー曲『君だけを』がヒットして、少年サンデーに『オバケのQ太郎』の連載が開始され、NHKで『ひょっこりひょうたん島』の放映が始まりました。
当時(昭和39年)、エカワ珈琲店の店主は、経済的に恵まれた環境にある少年でした。
中一時代、中一コース、少年マガジン、少年サンデー、少年キングを愛読していて、毎週、あるいは毎月、書店から配達してもらっていました。
自宅兼店舗の形で喫茶店を営んでいましたから、週刊平凡、週刊明星、週刊ベースボールやスポーツ新聞も読んでいた記憶があります。
賠償千恵子の「この道歩めば」
和歌山県に関係する出来事として、賠償千恵子の「この道歩めば」というレコードがきっかけとなって、当時、和歌山県伊都郡かつらぎ町の伊都高校で先生をしていた窪田忠香さんが、昭和39年1月、シンガポールで別れ離れになっていた、作曲家の鈴木道明さんと再会したというニュースがあります。
「この道歩めば」の作詞は窪田さんで、シンガポールの陸軍病院で、鈴木さんに曲をつけてくれるように頼んでいたのですが、その後、別れ離れになってしまったということです。
たまたまレコード店で、このレコードを手にした窪田さんが、自分の詩であるのに気づいて、連絡を入れたのがきっかけの再会でした。
この時、窪田さんは42歳、鈴木さんは44歳でした。多くの日本人が、戦争の傷跡を引きずって暮らしている時代だったわけです。
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