70歳、年老いた珈琲豆焙煎屋の残日録

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昭和30年代前半の鉄道事情とトリスでハワイ

昭和30年頃の日本、皆忙しく朝から晩まで働き続けていた時代です。日曜日に休めれば良いほうで、盆・暮れ以外は、朝から晩まで働きづめという人がたくさん存在していた時代です。

長距離交通の手段は、列車だけという時代で、朝早く東京を出発して、大阪到着が夕方という時代でした。

 

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開高健とその家族が夜間急行「銀河」で東京へ転勤

昭和31年11月1日の大阪駅、壽屋(後のサントリー)の宣伝部でPR誌『洋酒天国』の編集担当だった開高健とその家族が、知人・友人・壽屋宣伝部の同僚に見送られて東京行き夜行急行『銀河』に乗り込み、東京へ転勤していきました。

鉄道がただ1つの長距離輸送手段だった時代ですから、キップの購入や座席取りは難事業で、通路やデッキにまで人が座り込んでいました。

蒸気機関車なら、窓が開いたままトンネルを通過すると、煙で車内が真っ黒になったそうです。車内には、もちろん冷房などはなくて、天井に大きな扇風機が回っていました。

 

ビジネス特急こだま運行開始と黒沢明監督の天国と地獄

昭和31年、東海道全線が電化されて、2年後の昭和33年には電車が走りました。

開高健が東京転勤のため、大阪駅を出発した2年後、昭和33年11月1日から、東京と大阪の間を6時間50分で結ぶ『ビジネス特急こだま』が運行を開始しました。

冷暖房完備で、電車の窓が開かないということで話題になっていました。

黒澤明監督の『天国と地獄』で、半分開くトイレの窓から身代金を投下させるシーンを見て、特急こだまにも、開くことのできる窓があったと話題になったそうです。

 

そして、大阪経済圏の衰退が始まった 

この特急こだまの開通で、東京・大阪間の日帰り出張が可能になったのですが、この時期を契機に、大阪経済圏の凋落が始まったのだと思います。

その2年前に、サントリー(当時は寿屋)という大阪の優良企業が、宣伝の主力を東京に移転させていたわけです。

昭和30年代も後半となると、高速道路が登場して来て、昭和30年代の中頃までと比べると、全国の交通網も充実して来ていました。

しかし、空の旅は、庶民には高根の花で、特に海外旅行には色々な制約があって、海外への観光旅行が自由化されたのは、東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)のことです。

 

トリスを飲んでハワイに行こう

昭和36年(1961年)の秋から冬にかけて、サントリー(当時は寿屋)のキャンペーン「トリスを飲んでハワイに行こう」が注目を浴びていました。

海外への観光旅行自由化を前提としたCMキャンペーンで、一等「ハワイ旅行(積立預金証書)」が100名、残念賞1万5000円が400名、2等トリスウイスタン150万本という豪勢な賞品・賞金が用意されていました。


トリスでハワイ

 

ハワイ旅行当選者の4人に3人は

当選発表は翌年の1月で、ハワイ旅行当選者は2年後の1964年(昭和39年)にハワイへ旅立ったそうですが、旅行を希望したのは約30人で、残りの約70人は預金証書を現金化したと伝えられています。 

「トリスを飲んで、ハワイへ行こう!!」というCMが放送された。これは、トリスウィスキーを購入すると抽せん券が同封されており、当せん者は所定のあて先に応募すると、ハワイ旅行の資金(積立預金証書)が贈呈されるというものだった(当時は、まだ一般市民の海外渡航には制約があったため)。1964年に、海外旅行の自由化がなされ実施されたものの、実際に旅行に行った人は100名の当選者のうち30名程で、当選者のほとんどは預金証書を旅行に使わず現金化している。

wkipedia/トリスウィスキーより抜粋 
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昭和31年、昭和36年、昭和39年

観光旅行目的の海外渡航が自由化された昭和39年(1964年)、海外への出国者は約13万人で、3年後の昭和42年には2倍となって、あのバブル経済の時代ともなると、年間1000万人以上の人たちが海外旅行に出かけるようになって、海外旅行が日常となっていました。

小生ですが、東京オリンピックが開催された昭和39年は中学1年生で、「トリスを飲んで、ハワイへ行こう!!」のキャンペーンが実施された昭和36年は少学4年生、開高健が大阪から東京に転勤して行った昭和31年は幼稚園児でした。

 

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