古希3ブログ

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ロングセラーを続ける青春文学、柴田翔の「されど、われらが日々」

累計販売部数200万部、発表から半世紀以上経過した現在(2018年)でも読み継がれている、柴田翔が描くある若者たちの青春物語、されど、われらが日々の芥川賞受賞は、1964年(昭和39年)、東京でオリンピックが開催された年です。

それから50数年が経過していますが、今なおロングセラーを続けている「されど、われらが日々」は青春文学の傑作なのかもしれません。

 

1950年代後半に青春(学生時代)を過ごした若者たちの物語

昭和30年代の前半、左翼運動の全盛時代に青春(学生時代)を過ごした若者たちの挫折感を鮮明に描いているとされている小説で、この小説を読むことが、1960年代中頃から1970年代に青春を過ごした若者たちの通過儀礼だったのかもしれません。

発売から半世紀以上経過して、累計販売部数200万部に達するロングセラーを続けている「されど、われらが日々」を私(エカワ珈琲店のマスター)は、新聞広告で50万部突破と掲載されていた頃に読んでいます。

新装版 されどわれらが日々 (文春文庫)

新装版 されどわれらが日々 (文春文庫)

 

 

戦中派と呼ばれる世代の青春 

1970年代の中頃(20代の前半頃)に読んでいるので、青春の通過儀礼は済ませています。しかし、ストーリーについては、ものすごく断片的にしか覚えていません。購入した本には、「されど、われらが日々」ともう1作品収録されていたような気がするのですが、その作品のタイトルは覚えていません。

「されど、われらが日々」は、戦中派と呼ばれる世代(特に、学生たち)の青春群像を描いた小説ですから、戦争を知らない子供たち世代には、物語の時代背景を理解できなかったのだと思います。

昭和45年(1970年)の1月に芥川賞を受賞した庄司薫さんの赤頭巾ちゃん気をつけてのストーリーは、ほぼ覚えているわけですから。

 

戦中派世代の挫折感 

現在(2018年)を生きる私たちなら、武力革命を唱える左翼運動が異常で、そこから抜け出すのは正常な行動だと理解できます。しかし、昭和30年代の若者たち(当時の学生たち)は、左翼運動から脱落することを挫折(or裏切り)だと考えていたのかもしれません。「されど、われらが日々」は、そのような雰囲気を持つ時代を生きていた若者たちの物語だと思っています。

1970年代になると、1950年代や1960年代前半の頃のような左翼運動は時代遅れの産物となっていました。その結果として、左翼運動からの脱落を挫折だと考える人たちが少なくなって行って、左翼運動から脱落することが正常な状態に戻ることだと考える人たちが多くなって行ったのだと思います。

 

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