3年前、67歳だった頃、50代の頃よりも少し身体的に衰えているのですが、50代後半の頃とそれほど変わらない生活を営めていました。
70歳の今はというと、神経痛がひどくなって運動などはできなくなってしまって、それに加えて、花粉症(アレルギー症状)がひどくなって日々咳に苦しめられています。
僅か3年ほどでそのような状態ですから、後10年が経過して80代になる頃には(もし生きていれば・・ですが)、相当な身体能力の衰えを自覚しているはずです。
相当に年老いて、相当に身体能力が衰えてしまった時、快適な老後生活をエンジョイできる条件はと考えると、思い浮かぶのが大都市での生活です。
大都市には、年老いても活動的な人生を構築できる条件が整っています。
大都市には、老人(高齢者)の生活をサポートする様々なものが揃っています。
近所づきあいの範囲は狭くて、電話やインターネットで注文すれば食料品を配達してもらえて、文化娯楽施設が整っていて、公園や医療機関も充実しています。何かを学習したくなれば、学習できる施設も充実しています。
交通システムが張り巡らされているので、無理して自動車を運転する必要もありません。大量のタクシーが存在していて、タクシーの選択肢も豊富です。
また、身体が不自由でも、それほど不便を感じずに活動できるように町全体が設計されています。大都市には、老人の生活を豊かで楽にする機能が整っていのだと思います。
年老いた珈琲豆焙煎屋は、和歌山県の和歌山市に住んでいます。和歌山市は、人口30数万人規模の地方都市です。
体力的に弱って来ている老人には、大都市ほどでは無いかもしれませんが、和歌山県の中では一番老人に優しい町で、老人が生活をエンジョイできる町だと思っています。
和歌山県の人口100万人のうち、その3分の1以上が県都和歌山市で暮らしています。
人口が多いということは、それだけ町の機能が充実していることを意味するわけですから、そして、町の機能が充実しているということは、老人に優しい町を意味ているわけですから・・・。
健康で動きまわることができれば、何処の町に住んでも、それほど不自由を感じずに暮らすことができるかもしれません。
その町で不便を感じても、行動範囲が広いわけですから、不便を解消するのは簡単です。しかし、身体的に弱って来ると行動範囲は狭くなってきます。
行動範囲が狭くなっくると、できるだけ機能が充実している人口の多い町で暮らしている方が、豊かで楽な老後生活を過ごせるような気がします。
年老いた珈琲豆焙煎屋は、今年の秋で70歳になりました。
神経痛と花粉症に悩まされていて、数年前のような日常生活での動き回り方は無理ですが、まだまだ普通の日常生活を過ごせています。
しかし、若かりし頃のように、好きなように身体を動かして生活を楽しむ事が出来なくなっています。
そんなこんなで、やはり町の機能がそれほど充実していない地方の町よりも、大都市では無くても、それなりに町の機能が充実している人口30数万人の地方都市の方が暮らしやすいと思っています。
年老いた珈琲豆焙煎屋は、公的年金だけでは食べて行けません。働いて稼ぎ続けなければ、惨めな貧困生活が待っています。ですから、働き続けています。
高齢者の働く場の選択肢も、町の機能の充実と人口規模が関係していると考えます。
人口の少ない地方の町よりも地方都市の方が、地方都市よりも大都市とその周辺の方が、老いも若きも働く場の選択肢が多いはずです。
年老いた珈琲豆焙煎屋は、連れ合いと2人だけで零細生業パパママ規模の自家焙煎コーヒー豆小売専門店を営んでいます。
高齢者が夫婦2人だけで営んでいる零細生業パパマ商店が、それなりの商売を続けて行けるのも、人口30数万人の地方都市で商売を営んでいるからだと考えています。
ということで、公的年金だけで食べて行くのが難しい70歳の個人商店のおやじさん(orおじいさん)は、人口30数万人の地方都市で暮らしている幸せを感じている今日この頃です。