古希3ブログ

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何故、投票に行かなければならないのか? | 民主主義のマーケティング力学

何年も何年も前から、選挙と商売はよく似ていると思っています。

選挙に立候補して当選を重ねている政治家の選挙活動は、商売人のマーケティング活動の参考になります。それも、ものすごく。

選挙活動とマーケティング活動は、本当によく似ていると思います。

 

選挙は「社会システムの選択」ですが、マーケティングは「ブランドの選択」です。

満18歳以上の日本国民なら、選挙で投票することで「社会システムの選択」に誰もが参加できます。

個々人の投票行動は、個々人が「社会システムの選択をする」ことを意味しています。

そして、個々人の「社会システムの選択」の積み重ねが選挙結果として現れていると考えています。

 

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選挙で投票に行かないという行動を、マーケティングという視点から何か参考になることがあるだろうかと考えて見ても、何も得るものが無いという結論に到達するだけです。

自分の投票行動だけで政治や社会が変化するわけではないという理由で、その場限りの公約、くるくる変化する公約にうんざりしているという理由で、政治の状況にしらけているからという理由で投票に行かないのだとしたら、それは政治市場からの退場を意味しています。

 

選挙で立候補している政治家の人たちのゴールは、一人の人にだけ投票してもらうことではありません。

彼ら、彼女らの最終到達地点は、別の立候補者よりも、少しでも多くの投票を獲得することにあります。

ですから、選挙で投票してくれる人たちをターゲットとして、その人たちに心地よい社会環境を提供しようと努力しているわけです。

心地よい社会環境を提供されている人たち以外の人たちは、その心地よい社会環境について何も理解できるはずがありません。

 

ステーキハウスの経営者は、絶対に来店することの無い菜食主義者の人たちに喜んでもらえる店作りをすることなど有り得ません。

ステーキレストランのサービスの対象は、ステーキレストランに来店してくれる可能性のある人たちに限られます。

それと同じように、政治家や政党が、選挙で投票に行かない人たちのことを考慮するとは、普通に考えれば稀な出来事だと思います。

 

選挙において投票するということは、それぞれの人が、それぞれの社会システムを選択することを意味していると思います。

そして、そのそれぞれの人の選択がカウントされて、社会システムに対して魔法のような力を発揮します。それが、選挙というものが持っている不思議な力だと思います。

選挙で勝利した政治家の人たちは、選挙に立候補している他の候補者の誰よりも、より多くの得票を獲得することで選挙に勝利することができます。

 

しかし、政治家を続けるなら、次の選挙でも、他の立候補者の誰よりも多くの得票を獲得し続ける必要があります。

ですから、政治家の人たちは、個々人の「社会システムの選択」については、自分に投票した、しないに関わらず意識することになるはずです。

意識しなければ、競争相手よりも、より多くの得票を獲得することができないわけですから。

 

選挙権を行使するということは、どのような「社会システムの選択」であったとしても、投票することで「社会システム」に影響力を行使することだと考えます。

選挙で投票に行くことによって、ものすごく心地よい社会システムでなくても、少しだけでも心地よい社会システムを手に入れることができるかもしれません。

常識的に考えて、政治家の人たちが、投票に行かない人たちのことを優先的に考えて、社会システムを構築するとは考えられないわけですから。

 

選挙で選ばれた政治家の人たちが社会的サービスの対象とするのは、投票に行くことによって政治に参加している人たちです。

社会的サービスの対象としては、選挙で投票に行って政治に参加している人たちが優先されます。当然のことだと、思います。

例えば、ネガティブキャンペーンに嫌悪感を覚えているなら、できるだけネガティブキャンペーンという手法を使わない候補者に投票すれば良いわけです。

そうすれば、ネガティブキャンペーンの手法に嫌悪感を覚えている人が多ければ多いほど、少しずつネガティブキャンペーンが少なくなって行くはずです。

 

政治家は選挙の洗礼を受けますが、官僚や役人は選挙の洗礼を受けません。

政治家が、官僚・役人に「社会システムの選択」の調整を全面的に依存しているなら、選挙で投票に行かなくてもそれほど不利益を受けないかもしれません。

しかし、日本の社会システムは民主主義を基本としているので、政治家主導になっているはずです。

ですから、できるだけ心地よい社会システムを手に入れるためには、絶対に投票に行かなければならないと考えています。

 

そんなこんなで、年老いた珈琲豆焙煎屋は、選挙で投票に行かないという事は、不利な社会システムの選択を意味していると考えています。

40代の後半くらいからは、国政選挙と地方議員の選挙については、棄権したことは一度もありません。

首長選挙については、地方行政にそれほど不満を持っていないので、勝敗のはっきりしている選挙については何回か棄権したこともあります。

しかし、勝敗がハッキリしていても、できるだけ投票に行くようにして来ました。

 

選挙で投票に行かない人たちの1つの理由として、その選挙で勝利した候補者と責任を共有したくないということがあるかもしれません。

選挙で勝利した候補者が、その候補者に投票した人の意思に反した政治行動をするのを見たくないからなのかもしれません。

もう一つの理由は、選挙で敗北した候補者に投票したことで、敗北感を味わいたくないからなのかもしれません。

 

でも、これらの理由は、両方とも政治的マーケティングを無視しています。

選挙で投票に行かなければ、政治的マーケティングに関係することができないわけですから、政治市場から離れて行くしかありません。

そして、それは、他の誰かが、政治的マーケティング活動によって心地良い環境を手にすることを意味しているだけだと考えています。

 

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