「お布施の原理」が登場する梅棹忠夫さんの有名な論文「情報産業論」は、1963年(昭和38年)に発表された論文です。年老いた珈琲豆焙煎屋は、まだ小学6年生の子供でした。その情報産業論は、「情報の文明学」の中に収録されています。
Wikipeda は、梅棹忠夫(1920年6月13日~2010年7月3日)さんについて、以下のように説明してくれています。
日本の生態学者、民族学者、情報学者、未来学者。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授、理学博士(京都大学、1961年)。従三位勲一等瑞宝章。日本中東学会初代会長を務めた。
11963年(昭和38年)に発表した「情報産業論」はセンセーションを巻き起こした。今では当たり前の言葉になった「情報産業」という言葉を初めて用いた。
1964年には自身を中心とした若手研究会による私的研究会「万国博覧会を考える会」を発足。小松左京が万博に参加するきっかけを作った[。
「情報産業論」が発表された当時、梅棹忠夫さんと言えば、関西系のテレビ番組に度々出演されている著名な学者さんという記憶が残っています。
梅棹さんの著作を初めて手にしたのは、岩波新書「知的生産の技術」で、1970年代の中頃だったと記憶しています。
1988年に出版された「情報の文明学」は、2000年代の中頃(いつだったか忘れたのですが)、文庫本ではなくて単行本をアマゾンで購入して読んだ記憶があります。
2000年代に入って、インターネットが普及して行って、本格的な情報社会が到来して、「お布施の原理」や『情報産業論』そのものが再び注目を集め始めていた頃に読んだと記憶しています。
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