1987年2月、民営化に伴い株式上場したNTT株が、放出価格の約2倍、260万円という株価をつけました。
プラザ合意以後の円高に伴う日本経済の停滞に対処するための金融緩和と低金利政策によって、民間にお金が余っていた時代です。
元銀行員の作家、池井戸潤さんの名前は、当然知っています。でも、未だに池井戸潤さんの作品を読んだことがありません。近いうちに、購入して読んでみようと考えています。
当時の日本の銀行ですが、規模の利益による成長を求めて拡大路線を突っ走っていました。
その最前線が、銀行の支店であり、そこで働く銀行員たちです。
銀行の各支店には、地道な得意先営業では到底達成できないレベルのノルマが課せられていました。
ノルマの達成状況によって支店長の出世が決まり、支店長が出世できるかどうかが部下の出世に大きな影響を与えます。
支店の業績を伸ばす手っ取り早い方法、それが不動産取引だったのだと思います。
地主さん、不動産屋さん、建設屋さんと良好な関係を築くことで、急速に支店の業績を伸ばすことが可能だったのだと思います。
不動産担保さえあれば、銀行が融資していた時代です。
銀行の規模拡大競争・収益第一主義が、不動産価格高騰の一つの原因だったのだと思います。
バブル経済時期の株価の異常な高騰も、銀行の規模拡大競争・収益第一主義が影響しているのだと思います。
銀行の支店と証券会社の支店が良好な関係を持つことで、証券融資が拡大したいったのだと思います。
1990年、銀行が一斉に収益第一主義の規模拡大競争からの撤退を表明しました。
そして、株価の暴落が始まり、不動産フィバーも急速に冷めて行きました。
1980年代後半に発生した日本のバブル経済ですが、日本企業の業績規模拡大競争の手段としてのノルマ主義が大きく原因していたのだと思います。
その後、日本経済は、20数年に渡ってバブル経済崩壊の後遺症に苦しんいるのだと思います。
零細生業パパママ店であるエカワ珈琲店も、未だに、20数年前のバブル経済崩壊の後遺症が残っています。
しかし、日本経済もエカワ珈琲店も、根気よくリハビリを続けて来た効果が出て来ているように感じられる今日この頃です。