エカワ珈琲店の出来事

主に、エカワ珈琲店の日常の物語をお届けしています。

小さな焙煎店「エカワ珈琲店」が値上げと向き合った2023年の記録

あれは、まだ妻と二人で店を切り盛りしていた頃――2023年の春のことです。

エカワ珈琲店は、和歌山県庁のすぐ近く、官庁街の一角にあります。

朝はスーツ姿の人たちが足早に通り過ぎ、昼には官公庁の職員や近くの会社員が弁当を手に歩く。

夕方になると、街は少し静まり返り、店の前の通りにもゆっくりとした時間が流れ始める。そんな場所で、私たちは長年変わらぬ商いを続けていました。

 

近所には食品スーパーがなく、車を運転しない妻のために、週に一度の買い出しに付き合うのは私の役目でした。

その買い物が、いつしか“値札の変化を確かめる時間”になっていたのです。

レジに並ぶたび、食品の値段がじわりと上がっているのが分かる。

もちろん、スーパーのレギュラーコーヒーも例外ではありませんでした。

 

コーヒー生豆の価格は2020年代に入ってから上昇が続き、スペシャルティーコーヒーに至っては2010年代半ばからずっと値上がりを続けていました。

「これでは焙煎豆の価格が上がるのも当然だな」

そんなふうに、私は半ば諦めにも似た気持ちで市場を眺めていました。

 

2022年の終わり頃から、生豆の市場価格は上下を繰り返していましたが、下がったとしても“高止まり”する未来はほぼ確実に見えていました。

さらに2023年は、生豆以外のコストも上がるだろうと予想されていました。

だから私は、レギュラーコーヒーもクラフトコーヒーも、今年はまた値上げが続くだろうと考えていました。

 

小さな焙煎店の値上げと、その影響

当時のエカワ珈琲店は、夫婦二人で営む小さな自家焙煎店でした。(今は、74歳の爺さんが一人で商売をしています。)

テイクアウトのコーヒーもあったが、売上のほとんどは焙煎豆の販売。

2020年代に入ってからの2~3年で何度か小幅な値上げを重ねた結果、3年前と比べると販売価格は数十%も上がっていた。

 

その影響は、やはり出た。

販売量は2割ほど減った。

しかし、売上はそれほど落ちず、むしろ利益率が改善したことで、店の経営は以前より楽になっていた。

 

「たくさん売らなくても、ちゃんと暮らせる」

その感覚は、年齢を重ねた私たちにとって、とても大きな安心だった。

体力に無理をかけず、必要なだけ働き、必要なだけ稼ぐ。

そんな商売の形が、ようやく見えて来ていた。

 

値上げの時代に、夫婦で考えていたこと

レギュラーコーヒーの世界でも値上げが続いていましたが、販売量が大きく落ちたという話は聞こえてきませんでした。

むしろ、利益が改善したという声のほうが多かった。

ただし、もし消費者の収入が伸び悩めば、状況は変わるかもしれない。

そのとき一番苦戦するのは、低価格帯で知名度の低いブランドだろう、そんな予感もありました。

 

クラフトコーヒーは嗜好品です。

買ってくださるのは、コーヒーを愛する人たち。

だからこそ、ある程度の値上げには理解を示してくれます。

しかし、どこかに“上限”がある。

それもまた、長年商売をしてきた実感として確かにありました。

 

2010年前後の頃から、私は少しずつ値上げを始めました。

低価格で売り続けていては、いつまで経っても資金繰りに追われるだけだと気づいたからです。

けれど、スペシャルティー生豆の価格が上がり続けていたため、少しの値上げでは追いつかず、苦しい日々は続きました。

 

そして2020年代。

思い切った値上げをしたことで、ようやく利益率が改善し、暮らしが楽になってきました。

「もう少しだけ、楽になりたい」、そんな気持ちが芽生える一方で、「でも、どこまで値上げしていいのだろう」という迷いも、同じくらい強くありました。

その“上限”を探し続けていたのが、2023年4月頃のエカワ珈琲店でした。

 

そして今、ひとりで店に立ちながら思うこと

あれから時が流れ、妻は2025年の冬に旅立った。

いま、エカワ珈琲店は74歳の私ひとりの店になった。

店の空気は変わった。

焙煎機の音も、豆の香りも、同じはずなのに、どこか違って聞こえる。

それでも、焙煎しているときだけは、不思議と心が落ち着く。

妻と二人で積み重ねてきた時間が、まだ店の中に息づいているように感じるからだ。

 

この記事は、2023年に書いた記事を今の視点で書き直した記事です。

書き直しにあたって今読み返すと、「夫婦で商売を続けていた最後の頃の記録」でもあるわけです。

あの頃のエカワ珈琲店、値上げのこと、消費者の反応のこと、利益率のこと――

商売の未来を必死に考えていました。

 

いまの私は、「自分が無理なく続けられるペース」という視点で商売をしています。

クラフトコーヒーの価格の“上限”は、もしかすると、豆の価値だけでなく、私自身の暮らし方や、店のあり方とも深く結びついているのかもしれない。

そんなことを思いながら、今日も焙煎機の前に立っています。