
七十を越えてからというもの、人生は思いがけず静かに、そしてゆっくりと深まっていくものだと感じるようになった。
若い頃には、ただ前へ前へと進むことしか考えていなかったが、いまは立ち止まる時間の豊かさを知った。
私は和歌山市の片隅で、小さなコーヒー豆自家焙煎店を営んでいる。
妻に先立たれてからは、店の中の空気もどこか変わった。
焙煎機の回転音が、以前よりも大きく響くように感じるのは、きっと静けさが増したせいだろう。
それでも、店を閉める気にはならなかった。
焙煎機の前に立つと、妻と二人で働いていた頃の記憶が、豆の香りとともにふっと立ち上がってくるからだ。
年金も受け取ってはいるが、介護保険料が引かれれば、手元に残るのは年間九十万円ほど。
数字だけ見れば、心細い暮らしに思えるかもしれない。
だが、不思議と不安はない。
むしろ、必要以上のものを求めなくなった分だけ、暮らしは軽くなった。
なぜなら、私にはコーヒーがあり、焙煎の仕事があるからだ。
焙煎機に火を入れ、豆が色づき始める瞬間のわずかな音の変化。
それらが、いまの私にとっては、日々を支える確かなリズムになっている。
人は年を重ねると、失うものが増えていく。
けれど同時に、残ったものの輪郭がはっきりしてくる。
私にとっては、それがコーヒーであり、焙煎という仕事なのだ。
独りぼっちになっても、この仕事があるかぎり、私はまだ生きていける――
そんな静かな確信が、胸の奥に灯り続けている。
スペシャルティーコーヒーの値段について考えることがある。
アメリカでは百グラム千円から千数百円、日本でもそれに近い価格で売られている。
高品質の生豆を仕入れ、手作業で焙煎し、香りと味を整える。
それは、もはや工芸品の仕事に近い。
豆の一粒一粒に、農家の人の汗と、焙煎する者の呼吸が宿っているように思える。
ただ、アメリカと日本では所得に大きな差がある。
生豆の仕入れ値段は同じでも、受け取る側の懐事情はまるで違う。
その差が、スペシャルティーコーヒーの広がり方に影響しているのだろう。
アメリカでは市場の半分を占めるほど普及しているが、日本ではまだ、誰もが気軽に手に取るというわけにはいかない。
だが、私の店は少し事情が違う。
七十四歳の老人がひとりで営む小さな焙煎店だ。大きく儲ける必要はない。
赤字さえ出さなければ、あとは「面白く働けるかどうか」がすべてだ。
若い頃のように、売上の数字に一喜一憂することもなくなった。
むしろ、豆を焼きながら「今日もいい香りが出ているな」と思えれば、それで十分だ。
だから、エカワ珈琲店では百グラム七百五十円から八百円くらいという、少し控えめな価格で豆を売っている。それで十分なのだ。
欲が薄れ、暮らしが簡素になり、必要なものが少なくなると、商売の形も自然と変わっていく。
“ほどほど”という言葉が、年齢とともに心にしっくり馴染むようになった。
年金と焙煎機のあいだで暮らす日々は、思いのほか豊かだ。
焙煎機の回転音、立ちのぼる煙、豆の色が変わる瞬間。
そのひとつひとつが、私にとっては生きている証のように思える。
豆がはぜる音を聞くと、胸の奥に小さな灯りがともるような気がする。
若い頃のように、店を大きくしたいとか、もっと稼ぎたいとか、そういう欲はもうない。
ただ、今日も焙煎機の前に立ち、豆の香りを確かめながら、静かに働いていられればそれでいい。
それが、いまの私にとっての“幸せ”というものなのだろう。
人生の最終コーナーには、それなりの光がある。
それは派手ではないが、じんわりと心に灯る温かさだ。
夕暮れの光のように、柔らかく、静かに、しかし確かに存在している。
コーヒーの香りに包まれながら、私は今日もその光の中で生きている。
それで十分だと思えるようになった自分に、ふと感謝したくなることがある。

