
コーヒーと、私のこれからの日々
1月、2月は、電子書籍を作ったり、ブログを書いたり、家の中に籠って独りで出来ることだけを続けていました。
文章を書くことは嫌いではありません。
むしろ、コーヒーについて考えたり、言葉を選んだりする時間は、私にとって静かな楽しみでもあります。
けれど、どれだけ文章を書き連ねても、心のどこかにぽっかりと穴が空いたままのようで、その穴に冷たい風が吹き込んでくるような感覚が消えませんでした。
画面に向かってキーボードを叩いていると、ふと、家の中の静けさが耳に戻ってきます。
湯気の立つカップを置く音だけが響く部屋で、「この静けさを分かち合う相手は、もういないのだ」と思い知らされる瞬間が何度もありました。
書くことは好きでも、それだけでは心の温度が上がらない。
そんな日々が続いていました。
3月、再び焙煎機の前へ
3月の中旬、思い切ってコーヒーの仕事を再開しました。
久しぶりに焙煎機の前に立ち、スイッチを入れると、金属が温まっていく独特の匂いがふわりと立ち上がってきます。
その瞬間、長いあいだ止まっていた何かが、ゆっくりと動き出したような気がしました。
生豆を投入し、パチパチと弾ける音が聞こえ始めると、胸の奥に少しだけ温かいものが戻ってきます。
焙煎機の熱、豆の香り、手のひらに伝わる微かな振動──
どれも、妻と一緒に積み重ねてきた日々の記憶とつながっていて、懐かしさと安心が入り混じったような感覚でした。
再開してから10日ほど経った頃、ふと気づいたのです。
「ああ、少しだけ寂しさが和らいでいる」と。
家の中でひとり静かに過ごしていると、どうしても思考が内側へ内側へと沈んでいきます。
けれど、商売のことを考えたり、お客さんと交わす何気ない会話に耳を傾けたりしていると、自分が外の世界とつながっていることを思い出せるのです。
焙煎機の前に立つ時間が、私を再び日常へと連れ戻してくれている──
そんな実感がありました。
お客さんは、離れていなかった
3か月も休んでいたのだから、お客さんはもう来なくなっているだろう。
正直なところ、そう覚悟していました。
商売というのは、少し離れただけで流れが変わってしまうものですし、ましてや今回は、再開にあたって100gあたり50円から100円の値上げまでしているのです。
ところが、ふたを開けてみれば、休業前と変わらないくらい売れている。
むしろ売上は増えているのです。
最初は「何かの間違いではないか」と思ったほどでした。
けれど、注文が続き、店頭にも変わらず足を運んでくださる方がいて、ようやく実感が湧いてきました。
「ありがたい」という言葉では足りないほどの気持ちです。
半年も経たないうちに二度の値上げ、そして長い休業。
普通なら、お客さんが離れてしまってもおかしくありません。
それでも変わらず注文をくださる方がいる。
その事実は、数字以上の意味を持っています。
「あなたのコーヒーを待っていたよ」
そんな声が聞こえてくるようで、胸の奥がじんわりと温かくなります。
商売というより、人と人とのつながりに支えられているのだと、あらためて気づかされました。
商売繁盛は、心の薬
妻が旅立ってから、私にはもう守るべきものがなくなりました。
生活のために無理をして稼ぐ必要もありませんし、数字を追いかけて一喜一憂するような段階でもありません。
それでも──お客さんが来てくれると、通信販売の注文が入ると、胸の奥がふっと明るくなるのです。
まるで、曇り空の隙間から一筋の光が差し込んでくるような、そんな小さな変化が心の中に生まれます。
寂しさや悲しさが消えることはありません。
それは、これからも私の中に静かに居続けるのでしょう。
けれど、その気持ちを抱えたままでも、新しい日常を生きていくための“支え”は必要です。
どうやら私にとっては、「商売繁盛」がその支えになっているようです。
焙煎機の前に立ち、豆の香りに包まれ、誰かが私のコーヒーを待っていてくれる──
その事実が、心の薬になっているのだと思います。
これからも、コーヒーの仕事に精を出して、ゆっくりと、しかし確かに、前へ進んでいこうと思っています。
焦らず、無理をせず、それでも一歩ずつ、焙煎機の熱とともに。

