
妻が旅立って、もうすぐ一か月が経とうとしています。
不思議なもので、日が経つにつれて、あの時の「悲しみ」は少しずつ形を変え、「寂しさ」として胸に広がってきました。
最初の頃は、ただただ涙がこぼれるばかりでしたが、今は、ふとした瞬間に、深いため息がこぼれます。
この一週間、毎日一度だけ和歌山城のまわりを一周する散歩を日課にしています。
和歌山城1周は大体2kmですが、それくらいの体力は戻って来てくれています。
それ以外の時間は、ほとんど家にこもりきりです。
家にひとりでいると、「ああ、もう妻はいないんだな」と、心の奥底から寂しさが湧き上がってきます。
けれど、思い返せば、2024年の夏頃から2025年の年末にかけて、妻は長い入院生活を送っていました。
その間、私はひとりで家にいることに慣れていたはずでした。でも、あの頃は違ったのです。
毎日、妻から電話がかかってきて、私も話がしたくなればすぐに電話をかけていました。
病院も近くなので、毎日顔を見に行くことができました。
だから、たとえ家にひとりでも、「寂しい」と感じることはなかったわけです。
今は、電話もできない。面会にも行けない。声も、顔も、もう二度と届かない。
だからこそ、この「寂しさ」は、体の奥からじわじわと湧き出してくるのかもしれません。
録画していたテレビドラマ(有線テレビで放映している昔のドラマ)を見ようとしても、10分もすれば気持ちがしんどくなって、続きを見る気力が湧いてきません。
気がつけば、ぼんやりと時間が過ぎ、ため息ばかりが増えていきます。
そんな中でも、コーヒーのことを考えているときだけは、少しだけ心が軽くなります。
パソコンの前に座って、有料記事の構成を考えたり、電子書籍の編集をしたり、ウェブサイトやショッピングサイトの手直しをしていると、30分、40分はあっという間に過ぎていきます。不思議と疲れもあまり感じません。
やっぱり、私にとってコーヒーとコーヒーの仕事は趣味であり、心の支えなのだと、あらためて思います。
考えてみれば、好きなことを仕事にして暮らして来たわけですから。
妻の満中陰(49日)が明けたら、焙煎コーヒー豆の商売を再開しようと考えています。
74歳の今の私には、それしかありません。
週に2日くらい、1日に1〜2回の焙煎なら、今の体力でもなんとかやれそうです。
とはいえ、再開に向けて、もう少し体力をつけておきたい。
そう思いながら、今日もまた、和歌山城のまわりを歩いています。
寂しさは、きっと消えることはないでしょう。
でも、コーヒーの香りとともに、少しずつ、心に灯りがともる日が来ると信じています。

