
十二月の冷たい風が吹き始めたころから、私の身体は少しずつ悲鳴を上げていた。
動けばすぐに息が切れ、胸の奥に鈍い痛みが走る。
けれど、そんなことに構っていられなかった。妻が入院していたからだ。
毎日、数時間は病院で過ごして、顔を見て、手を握って、声をかける。それが私の一日だった。
12月25日、クリスマスの朝。症状はこれまでにないほど強くなっていた。
面会に訪れた病院で、そのまま診察を受けることになり、検査の結果、急性期の大病院へ救急搬送。即座に入院となった。
診断は「心不全」。最初の一日はHCU、翌日からは一般病棟へ。
まさか、自分がこのタイミングで倒れるとは思ってもいなかった。
そして、12月27日の早朝。入院中の私のスマートフォンに妻の入院先病院から連絡が入る。
妻の容態が急変したという。だが、私は病院のベッドの上。すぐに動けるはずもない。
妻の兄に連絡を取り、代わりに駆けつけてもらった。
彼が病室に着いたのは午前八時前。八時過ぎ、妻は静かに息を引き取った。彼が最期を看取ってくれた。
私は外出許可をもらい、携帯用酸素ボンベをつけて、昼頃に妻の病院へ向かった。
そこにいたのは、やすらかな顔をした妻だった。
まるで、長い旅の終わりにようやく安らぎを得たような、そんな表情だった。
思えば、あの日、私が倒れたのは偶然だったのだろうか。
もしかしたら、妻が「あなたも診てもらいなさい」と、私を病院に導いてくれたのかもしれない。そう思うと、胸がいっぱいになる。
私たちは、ふたりだけの家族だった。だからこそ、葬儀の手配もままならない。
入院中の私に代わって、近所の光明院の住職さんにお願いし、火葬と骨上げをしていただいた。
お骨はお寺に預かって供養してもらい、四十九日の法要をしてもらった後、光明院の永代供養の納骨堂に納骨するつもり。
1月3日、私は十日間の入院を経て退院した。
医師は本来二十日は必要だと言っていたが、事情を話して無理をお願いした。
けれど、退院したからといって元気になったわけではない。動けばすぐに疲れ、三日の退院した日はほとんど横になって過ごした。
しばらくの間(1か月から2か月)、仕事はお休みすることにした。
国民年金だけで食べて行けないので、1か月後か2か月後かには「自家焙煎コーヒー豆小売の仕事」を再開する必要がある。
しかし、今は、精神的な問題・健康上の問題があって、とても仕事を再開することが出来ない。
自家焙煎コーヒー豆を扱うこの小さな店も、今は静かに時間を止めている。

