エカワ珈琲店の出来事

エカワ珈琲店の爺さんと婆さんの日常と仕事の出来事、それと備忘録・雑記帳。

焙煎の香りと、病室の窓辺で

秋のはじまり、空気が少し冷たくなり始めた頃、妻が入院した。

9月に20日間の入院を経て、いったんは家に戻ってきたものの、わずか1週間の在宅生活ののち、10月3日から再び病院のベッドに戻ることになった。

それから今日、12月20日まで、妻は病院で過ごしている。

季節は秋から冬へと移り変わり、街路樹の葉は落ち、朝の空気には白い息が混じるようになった。

12月11日には、急性期の大病院から、透析治療も可能な民間病院へ転院した。

そこが、今の妻の居場所だ。

 

長い入院生活の中で、妻の身体は少しずつ、静かに、けれど確実に動かなくなっていった。

11月の終わり頃には、寝返りを打つことすら難しくなり、今では食事も受け付けず、点滴で栄養をつないでいる。

病室の天井を見つめる時間が増え、言葉も少なくなった。

それでも、ふとした瞬間に「家に帰りたい」とつぶやくことがある。

その言葉を聞くたびに、胸が締めつけられる。

帰りたい場所があるというのは、幸せなことだ。

でも、今の妻の状態では、それは叶わない。

現実は、あまりにも静かで、重たい。

 

だからこそ、せめて顔を見せる時間だけは大切にしたいと思っている。

毎日、少なくとも一度、できれば二度、病室を訪れる。

1時間、2時間、ただそばに座っているだけのこともある。

手を握ったり、昔話をしたり、時には何も話さずに、ただ静かに時間を共有する。

言葉がなくても、伝わるものがあると信じている。

目を合わせたときのわずかな表情の変化、手のひらの温もり、呼吸のリズム。

そうした小さな気配が、ふたりの間に確かな絆として流れている。

 

病室の窓から見える冬空は、どこまでも高く、どこか寂しげだ。

でも、その空の下で、今日もまた、妻のそばにいられることに感謝している。

たとえ言葉が少なくても、たとえ動けなくても、そこに「いる」ことの意味を、日々、深く感じている。

 

売り上げは、これからもっと不安定になるだろう。

店舗の営業は不定期になり、来店してくださるお客さまにもご不便をかけてしまう。

けれど、それでも、今はそうするしかない。

年金だけでは、暮らしていけない。

光熱費、医療費、日々の食費。どれも削ることはできない。

ましてや、妻の養生を支えるには、想像以上にお金がかかる。

 

だからこそ、焙煎コーヒー豆の通信販売に力を入れることにした。

遠く離れた誰かのもとへ、私の焙煎した豆が届く。

その香りが、朝の食卓や、仕事の合間のひととき、あるいは静かな夜の読書時間に、そっと寄り添ってくれることを願っている。

コーヒーの香りが、誰かの暮らしを少しでもあたたかく包んでくれるなら、それは私にとっても救いだ。

 

妻は、身体障害者手帳1級、要介護5。

もう、介護や介助なしで暮らすことは難しい。

入退院を繰り返し、今は病院のベッドの上で、ほとんど動けない状態だ。

そんな妻に、少しでも穏やかな時間を過ごしてもらうためには、どうしてもお金がいる。

後期高齢者の爺さんが、同じく高齢の妻を支えるには、まだまだ働かねばならない。

でも、それは苦ではない。

むしろ、焙煎の火を絶やさずにいられることが、私自身の心の支えになっている。

 

焙煎機の前に立つと、自然と背筋が伸びる。

豆の色、香り、音に集中する時間は、心を整えてくれる。

火加減を見極め、タイミングを計り、豆の声に耳を澄ます。

そこには、長年積み重ねてきた技術と、日々の祈りが込められている。

 

病室の窓から見える空は、今日も静かに広がっている。

雲の流れ、光の加減、遠くに響く鳥の声。

妻がその空を見上げていると思うと、私も同じ空を見上げたくなる。

焙煎機の前に立つたびに、あの空の下で待っている妻のことを思う。

香りとともに、祈りを込めて。

今日もまた、豆を煎る。焙煎の煙が、空へと昇っていく。

その先に、妻のもとへ届くようにと願いながら。