
2010年代、自家焙煎コーヒー豆の香りがネットの向こうに届きはじめた頃、エカワ珈琲店の通信販売は、静かに、でも確かに広がっていった。
それは、派手な広告やキャンペーンとは無縁の、まるで朝の湯気のように、じんわりと広がる温もりのある広がりだった。
おちゃのこネットで作った手作りのショッピングサイト。
デザインは素朴で、機能も最小限。
でもそこには、焙煎の手間も、豆の個性も、そして店主の想いも、ぎゅっと詰まっていた。
「この豆は、誰かの一日を少しだけやさしくするかもしれない」──そんな気持ちが、画面の向こうに届いていたのだと思う。
注文が入るたびに、焙煎機の前に立ち、豆の色と香りを確かめながら火加減を調整する。
袋に詰めるときには、まるで贈り物を包むように、ひとつひとつ丁寧に。
そうして届けられたコーヒー豆は、遠く離れた誰かの朝に、静かな喜びを運んで行く。
2018年の夏、アマゾンへの出品を始めたのは、そんな順調な流れに背中を押されたからだった。
「もっと多くの人に、この豆の香りを届けられるかもしれない」──そんな期待があった。
最初はよかった。
新しいお客さんが次々と現れ、まるで新しい川が流れ込んできたようだった。
レビューも好意的で、売上も伸びた。「これはいけるかもしれない」と思った。
そして、エカワ珈琲店の通信販売の重心は、速足でアマゾンへと移っていった。
しかし、2年もたつと、新しいお客さんは現れなくなり、売上はじわじわと減っていった。
マスマーケットの波に、クラフトコーヒーの舟はうまく乗れなかったのだ。
エカワ珈琲店の豆は、誰にでも届くものではない。
それは、価格や利便性ではなく、手間と想いに価値を感じてくれる「誰か」に深く届くものだった。
大量消費の海では、その声はかき消されてしまったのかもしれない。
そして、もっと大きな波が押し寄せた。
それは、商売の浮き沈みとは比べものにならない、暮らしそのものを揺るがす波だった。
妻の介護。 1級の障害者手帳、要介護5。
日常のほとんどすべてに介護介助が必要になり、かつてふたりで分け合っていた時間は、今や店主(74歳の爺さん)ひとりの肩にのしかかっている。
夫婦ふたりきりの暮らし。
支え合ってきた日々の延長線上に、こんなにも重たい現実が待っているとは、誰が想像しただろう。
店舗営業は、今では週末の土日だけ。 それが精一杯だ。
平日は介護介助に追われ、焙煎や発送の時間を捻出するのも一苦労。
当然、商売からの収入は大きく減った。
暮らしの先行きは、まるで霧の中を歩いているように不透明で、時折、不安が胸を締めつける。
それでも、焙煎と商売の火は消えていない。
豆がはぜる音、立ちのぼる香ばしい香り。
それは、日々の疲れをほんの少しだけ癒してくれる、ささやかな希望の証だ。
エカワ珈琲店の空間は、店舗であり、焙煎工房であり、住まいでもある。
この空間には、長年積み重ねてきた時間と手仕事のぬくもりが染み込んでいる。
家内制手工業という言葉が、これほどしっくりくる場所は、そう多くないだろう。
ここには、まだ「運」が残っている。「意志」と「技術」と「信頼」。
長い年月をかけて育ててきた、目には見えない財産が、今もこの店を支えてくれている。
だから、もう一度、頑張って通信販売に挑戦しようと思う。
時間に縛られず、遠くの誰かに豆の香りを届ける方法を、もう一度探してみようと思う。
それは、かつてのように大きな売上を目指すというよりも、もう一度「誰か」とつながるための挑戦だ。
もしかしたら、その先に、新しい「運」が待っているかもしれない。
「運」がやって来てくれれば、妻の症状も、少しは安定してくれるかもしれない──。
焙煎機の音が、今日も小さく響いている。
それは、希望の火種がまだ消えていないという、ささやかな証。
この音がある限り、エカワ珈琲店の物語は、まだ終わらない。

