エカワ珈琲店の出来事

エカワ珈琲店の爺さんと婆さんの日常と仕事の出来事、それと備忘録・雑記帳。

高齢化の街で、違和感なく生きる

数年前まで、仕事を終えるとフィットネスクラブへ直行するのが日課だった。

健康のためという名目ではあったが、汗を流す時間は、心身を整える大切な儀式でもあった。

69歳まで続けていたその習慣は、今思えば、日々の営みの中にささやかな誇りを添えてくれていたように思う。

 

クラブには若い人もいたが、目につくのは50代、60代の男女。

昼間に訪れると、70代、80代の方々で賑わっていた。

年齢を重ねても、身体を動かすことを楽しむ人々の姿に、どこか励まされる気持ちがあった。

だが、2020年代に入り、私の神経痛が悪化し、連れ合いの体調も思わしくなくなって、新型コロナウィルス感染症パンデミックがあってからは、フィットネスクラブ通いをやめた。

 

2025年の今、あの頃と街の空気はそれほど変わっていないように感じる。

図書館でも、本屋でも、映画館でも、目立つのは60代半ばを過ぎた世代。

私自身、74歳になった今でも、そうした場所に足を運ぶと、年齢を意識することなく、自然体で過ごせる。

周囲の空気と自分の存在が、違和感なく溶け合っているのだ。

 

和歌山市の人口は約34万人。

そのうち、3人に1人以上が65歳以上の高齢者だという。

この街は、まぎれもなく高齢化社会だ。

だが、それは決して寂しいことではない。

年齢を重ねた人々が、日常の中で静かに、そして確かに生きている。

そんな街で、私は今日も、違和感なく暮らしている。

 

高齢化社会というと、世間ではしばしば「大問題」として語られる。

医療や年金、労働力の不足――確かに、社会全体として見れば、課題は山積しているのかもしれない。

けれど、74歳の私にとっては、むしろこの街は、年齢を意識せずに暮らせる、居心地の良い場所だ。

 

たとえば、日々の買い物。

近所の食品スーパーに足を運ぶと、私より年上と思しき方々が、カートを押しながらゆっくりと品定めをしている。

店員さんの中には、私より少しだけ若いだけの方もいて、言葉を交わすときも、どこか安心感がある。

年齢のギャップを感じることなく、自然体で買い物ができるのだ。

 

高齢化社会とは、私にとって「年齢を気にせずにいられる社会」でもある。

誰もが年齢を重ねていることを前提に、無理なく、無理させず、日常が流れていく。

そんな空気の中で暮らせることは、案外、贅沢なことなのかもしれない。