
秋の終わり、冬の気配が忍び寄る今日この頃。
空を見上げていても、なかなか「つき」がやって来てくれません。
そんな感覚が、胸の奥にじんわりと広がっています。
先月(2025年10月)、安易な気持ちで依頼してしまった電気工事が、思いもよらぬ形で跳ね返ってきました。
予算額の1.5倍という請求に、用意していたパソコン購入費用を転用せざるを得ず、楽しみにしていた新しいパソコンは、しばらくお預けとなりました。
「事前に予算額を知らせていたのに・・・」と怒りが込み上げて来て、馬鹿にされたような「くやしさ」と、安易に信用してしまった「後悔」がいつまでも心に残っています。
それでも、そんなことは些細なことに思えるほど、妻の入院は私の心に重くのしかかっています。
10月の初めから40日以上、急性期治療の大病院で懸命な治療を続けています。
ようやく退院の兆しが見えて来て、退院予定日も決まっていたのですが、血液検査の結果がそれを打ち消してくれました。
栄養状態が不安定で、自宅療養は危険だということです。
退院は取り消しになって、病院での治療は続くことになりました。
「もう少しだけ、頑張ってもらわないとね」と、医師の言葉が静かに響きます。
転院の可能性も含め、長い道のりがまだ続くようです。
そんな中、ふと心に浮かぶのは、母の眠るお墓のこと。
家の近くの真言宗のお寺、光明院にある永代供養のお墓。
50年間、個別に供養してくれるという安心感の中で、母の骨は静かに眠っています。
そして、20年間共に暮らした猫たちも、別のお寺(日蓮宗正住寺)の共同墓で眠っています。
今年の8月のお盆過ぎにお参りしてから、この3か月、どちらにも足を運んでいません。
忙しさと心の余裕のなさにかまけて、手を合わせる時間を忘れていました。
「つき」がやって来てくれないと感じるのは、もしかしたら、そうした心の隙間に原因があるのかもしれません。
先祖や大切な存在への感謝を、少しずつ忘れてしまっていたのかもしれません。
だから、今こそお参りに行こうと思います。
母に、猫たちに、そして自分自身に、静かに語りかける時間を持たなければと思っています。
どちらのお墓も、我が家から徒歩で数分くらいの距離にあります(ご近所です)。
手を合わせることで、心の水面が少しでも澄んでくれたら、「つき」もまた、そっとやって来てくれるかもしれません。

