古希3ブログ | エカワ珈琲店の出来事

来年(2025年)は、ブログタイトルを「エカワ珈琲店の出来事」とするつもりです。

さらば工業主義、エカワ珈琲店は家内制手工業のコーヒー豆自家焙煎店

コーヒー豆自家焙煎店の仕事(商い)は、家内制手工業の仕事(商い)だと思っています。

年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦が二人だけで営んでいるコーヒー豆自家焙煎店「エカワ珈琲店」は、和歌山市の街中で棲息している零細生業規模のコーヒー豆自家焙煎店です。

小型業務用コーヒー豆焙煎機(バッチサイズ5kg)を使って、1回に3kgくらいの自家焙煎コーヒー豆を30分から30数分の時間を費やして手作業で丁寧に煎っています。

 

家内制手工業の仕事は、生産機械の標準化、生産手順の標準化、生産時間の標準化、生産量のノルマなどなど、生産供給の過程を標準化する工業主義の仕事とは違った文化を持っている仕事です。

エカワ珈琲店の仕事は、その家内制手工業の仕事そのものです。

例えば、自家焙煎コーヒー豆の香り・風味です。

「いつも同じ香り・風味」の自家焙煎コーヒー豆に仕上げているのでは無くて、その時・その時で最高の香り・風味を持つ自家焙煎コーヒー豆に仕上げているつもりです。

 

手作業で時間を費やして丁寧に焙煎した自家焙煎コーヒー豆は、自宅と焙煎工房を兼ねた小売店舗で、あるいは、通信販売で、コーヒー消費者に直接小売販売しています。

エカワ珈琲店は家族営業で、コーヒー豆を自家焙煎するのに必要な財を直接所有していて、製造した自家焙煎コーヒー豆を直接コーヒー消費者に販売する手段も所有しています。

 

江戸時代の日本は家内制手工業の時代で、生産者(とその家族)は、生産に必要な財を直接所有していました。

仕事の中心は職人による手仕事で、熟練を必要とするのが一般的でした。

エカワ珈琲店は、家族営業(パパママ営業)のコーヒー豆自家焙煎店で、コーヒー豆を焙煎するのに必要な財や自家焙煎したコーヒー豆を販売する手段は、直接所有しています。

コーヒー豆自家焙煎店の仕事の中心は職人による手仕事で、それなりの熟練を必要とする仕事ですから、家内制手工業の仕事そのものだと思っています。

 

江戸幕府が倒れて、明治維新政府が登場しました。

欧米文明を積極的に取り入れる文明開化の時代となって、生産設備と作業をする人を工場に集中させることで生産性が向上して行きました。

そして、作業を分割して何人かで分業することで、さらに生産性が向上して行きました。

その後、日本でも本格的な産業革命が始まって、1950年代に入ると大量生産・大量宣伝・大量販売のマスマーケットの時代へと突入して行きました。

 

マスマーケット=工業主義の文化だと、年老いた珈琲豆焙煎屋は思っています。

大量生産・大量販売の工業主義の文化のキーワードは、「希少性」です。

「不足」しているモノを、生産性を改善して大量に生産することで、その希少性を解消させるという文化が、工業主義の文化だと思っています。

経済先進国の発達した「工業主義の文化」の環境下で、パパママ生業店が棲息して行くのは至難の技だと思います。

 

無理して、棲息しようと頑張れば、「貧乏暇なしで、お金に追い回される」という泥沼に足を踏み込んでしまいます。

そして、その泥沼から脱出するのに10年・20年単位の時間がかかるか、お手上げ状態になって破産するという事態に陥ってしまいます。

年老いた珈琲豆焙煎屋(エカワ珈琲店の店主)は、その泥沼を経験しています。

 

2024年のエカワ珈琲店は、家内制手工業の仕事(商い)をしているコーヒー豆自家焙煎店です。

江戸時代の家内制手工業と2024年の家内制手工業は、手作業である程度の熟練を必要とする「仕事」と言う点は同じです。

しかし、その「仕事」の在り方は、相当に違っています。

何世代も前の家内制手工業の時代と違って、2024年の今は、インターネットが普及していて、ネットワーク環境が充実しています。

 

より多くの人と知り合いになることができて、より多くの知識にアクセスできるようになっています。

その結果として、私たちの能力を短時間で相当なレベルにまで高めることも可能となっています。

知識・技能を求めている人たちは、短時間で相当なレベルの知識や技能を身につけることができます。

www.ekawacoffee.work

 

現在(2024年)は、誰でも熟練の仕事人になるチャンスを持っていると思っています。

特別な知識や特別な技能が、少数の人の独占物ではなくなっています。

数多くのその道の達人や、その道の名人が生まれてくる時代になりつつあるのを、何となくですが感じることが出来ます。

今(2024年)は、生業規模の零細な仕事をしていても、それほど儲けられないかもしれませんが、食べて行くのに不自由しないくらいは稼げる時代だと思っています。