1980年(昭和55年)頃の定年年齢は55歳
石油ショツクで日本経済がてんやわんやしている頃に大学を卒業して、無名の駅前大学卒業ですから就職先も決まらず、しかたがないので家業の喫茶店をしばらく手伝って、やっとのことで20代の中頃に地元で公僕の仕事に就くことができました。
当時(1980年頃)の定年年齢は55歳で、厚生年金や共済年金は、減額受給でよいなら50歳くらいから支給されていたと記憶しています。
その後、定年年齢が58歳、そして60歳、あるいはそれ以上の年齢まで延長されて、当然、厚生年金や共済年金の受給開始年齢も延長されて行きました。
- 1980年(昭和55年)頃の定年年齢は55歳
- 昭和55年(1980年)頃の55歳は老けて見えた
- 現在の60歳代は、半世紀前の50歳代
- 人生の残り時間が増えている
- 人生の蓄積には、努力だけではなくて、運・不運も関係している
- 年老いた珈琲豆焙煎屋は
昭和55年(1980年)頃の55歳は老けて見えた
公僕の仕事に就いた1980年(昭和55年)前後、55歳で定年を迎えた先輩たちを見て、相当に年老いてヨボヨボしていると感じたものです。
21世紀の現在(2020年)、60歳で1回目の定年を迎え、その後数年間同じ会社や役所、あるいは関連会社や関連団体で働いて、60歳の半ば以降に2回目の定年を迎えます。
ということで、実質的な定年年齢は65歳以上となっていますが、それほど年老いてヨボヨボになっているようには見えません。
もしかしたら、自分(このブログの管理人)も同世代で一緒に年齢を重ねて来たから、そう見えるのかもしれませんが。
現在の60歳代は、半世紀前の50歳代
現在の50歳代は半世紀前の40歳代で、現在の60歳代は半世紀前の50歳代なのかもしれないと考えています。それだけ、現在の60歳代は元気だと思っています。
もしかしたら、自分が60歳代の後半(来年の秋には70歳)だから、そう思い込んでいるのかもしれませんが。
1970年の平均寿命は、男性が70歳で女性が75歳でした。55歳まで働いて定年退職でリタイアした男性が、その後、70歳まで生きることが期待できたわけです。
2018年の平均寿命は、 男性が81歳で女性が87歳です。
60歳まで働いて1回目の定年退職を経験して、65歳・2回目の定年退職で完全リタイアした男性は81歳まで、女性は87歳まで生きることが期待できます。
人生の残り時間が増えている
半世紀前の1970年頃と比べれば、医学が進歩して健康的な生活スタイルが当たり前になっていて、60歳を過ぎても活動的・生産的な暮らしのできる、人生における残された時間が増え続けています。
60歳~65歳でこれまでの仕事をリタイアして、60歳~65歳で楽しくて柔軟な働き方のできる新しい仕事を始めることも可能です。
もちろん、悠々自適のリタイア生活が可能なら、その生活スタイルを選択する人もいるかもしれません。
人生100年と言われているわけですから、元気な高齢者(半世紀前の中年世代のような)が、これからも増え続けて行くはずです。
そして、人生の残された時間の使い方は、彼ら彼女ら、人それぞれに違ってくるような気がします。
人生の蓄積には、努力だけではなくて、運・不運も関係している
60歳、あるいは65歳からの人生ですが、その人のこれまでの人生の蓄積によって違ってくるはずです。
ただし、その人生の蓄積は、その人の努力だけに依存しているわけでは無くて、その人の運・不運も大きく関係しています。
働かなくてもこれまでの人生の蓄積だけで悠々自適の暮らしができる人もいれば、60歳を過ぎても、65歳を過ぎても、70歳を過ぎても働き続けなければ食べて行けない人もいます。
そして、何歳まで働き続ける必要があるかは、その人の人生の蓄積度合いによって変わってきます。
年老いた珈琲豆焙煎屋は
ちなみに、年老いた珈琲豆焙煎屋は人生の蓄積が少ないので、70歳を過ぎても、75歳を過ぎても、もしかしたら80歳を過ぎても働き続けなければ食べて行けない高齢者である可能性が高いと考えています。
今流行の自家焙煎コーヒー豆ビジネスを、自宅兼店舗(軒先店舗)にて夫婦2人だけで営んでいて、何んとか食べて行くだけを稼げています。
しかし、それほど遠くない将来のことを考えると、もう少し頑張って働いて貯えを作っておきたいと考えています。
ということで、最近、もう少し頑張って働こうと、色々と模索しているところです。
その一つとして、自家焙煎コーヒー豆をアマゾンで小売販売しています。もしよろしければ、一度試して頂ければ幸いです。