エカワ珈琲店の店主は、65年間と半年近くの人生を歩んで来ています。40代の始めころ、『自分らしく』生きてきただろうかと考え続けていた時期があります。また、何かで落ち込んでしまった時、『自分探し』の旅にでも出かけようかと考えたこともあります。
高校3年生くらいから20代の前半にかけて、五木作品の大ファンだったことがあります。ですから、五木寛之の初期作品は、フィクション・エッセイ・対談集を全て購入して読んでいます。しかし、「青春の門」あたりを最後として、それ以後の作品は読んでいません。
ということで、五木寛之の最近のノンフィクション作品を読んでみたいと考えている今日この頃です。
『自分らしい』とは、いったいどのような生き様を言うのだろうか、『自分探し』の旅に出て見つける自分とは、いったいどのような自分なんだろうかと思い悩んでいたものです。
『自分らしく』という基準なんて、どこにも存在しないのだと思います。『自分らしく』・『自分探し』という言葉は、ただ単に、文学的な言葉に過ぎないというのが、その時の結論でした。
『自分らしさ』を求めて、『自分探し』の旅に出かけたところで、何か新しいものを見つけることなどなくて、そこにはただ風が吹いているだけなのだと思います。
自分自身のこれまでの人生の足跡・生き様の積み重ねが、『自分らしい』生き方なんだと再確認するだけのことだと思います。
『自分らしく』・『自分探し』という言葉は、旅に出て模索しなければならないほど難解なものではなくて、自分自身の現在までの生き様を肯定すること、ただそれだけのことだと考えている今日この頃です。