エカワ珈琲店の出来事【雑記帳・備忘録】

零細生業パパママ規模のコーヒー豆自家焙煎店、和歌山市のエカワ珈琲店の店主が綴る雑記帳・備忘録。ちなみに、店主は今年の秋に71歳となる年老いた珈琲豆焙煎屋です。

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「年老いた珈琲豆焙煎屋の珈琲物語」

 

自動車の運転体験と人生の運転体験

街中にて自動車を走らせていて、毎日、どのくらいの平均速度で走行しているのだろうかと考えることがあります。

おそらく、推測しているよりも、相当に低いスピードで走行しているはずです。

高速道路や自動車専用道路を走行しているわけで無くて、信号待ちを始め、いろいろな交通規制が存在している街中の一般道路を走行するわけですから、平均速度が相当に低くなるのは当然のことだと思います。

 

自動車の運転については、旅行や仕事で高速道路を走行した記憶や、スリリングな出来事などの強烈な記憶だけが残っています。

でも、長年の自動車の運転経験の中で、そのような強烈な記憶の部分は、ごく短期間の経験に過ぎません。

自動車の運転経験の大半は、街中の一般道路での日常の運転経験です。

 

そして、街中の一般道路での運転経験という基礎があるので、強烈な記憶の残る走行体験も可能になるのだと思います。

もしかしたら、人の人生も同じようなものなのかもしれません。

人生体験のほとんどは平凡な体験の積み重ねで、時々、強烈な記憶に残る体験に出会うことがあるのだと、これまでの経験から、そのように考えています。

今回の記事は、セスゴーディンの下のブログ記事を参考にさせて頂いて書いています。

sethgodin.typepad.com

 

セスゴーディンさんのブログ記事を参考にしてエントリーしている記事ですが、そのブログ記事の内容と年老いた珈琲豆焙煎屋の考え方が、ほぼ一致していると考えたので、この記事をエントリーしています。

 

追記/2022年6月25日

年老いた珈琲豆焙煎屋は、70歳の高齢者です。

人生の運転経験も、自動車の運転経験も十分に持っています。

何年か前からは、自動車の運転は街中限定で、人生も用心深く運転しています。

でも、人生の運転と自動車の運転は、同じようなものに見えて、そうではないと考えています。

人生の運転は運任せで自分でコントロールできませんが、自動車の運転はコントロールが可能です。