古希3ブログ

エカワ珈琲店とその周辺の出来事、エカワ珈琲店オーナーの思い付き、などなどの記事をエントリーしています。

東京オリンピックが開催された年、そして、平凡パンチが創刊した年。

東京オリンピックが開催されの頃(昭和39年/1964年)、喫茶店で飲むコーヒー1杯の値段ですが、60円くらいだったと覚えています。

何故、覚えているのかというと、エカワ珈琲店の店主の母親は「純喫茶コロナ」という店名の喫茶店(住居兼店舗)を営んでいて、漠然としてですが、当時の喫茶店メニューや価格を覚えているからです。

 

ライヴ・アンソロジー1962-65

ライヴ・アンソロジー1962-65

 

 

東京オリンピックが開催された年、エカワ珈琲店の店主は、まだ中学1年生の少年でした。 

1960年代前半は喫茶店の黄金時代で、朝から晩まで、ひっきりなしにお客さんが来店してくれた時代です。

ちょうど、最盛期のスターバックスと同じような状況で、経営者にとっては、笑いの止まらない日々が続いていました。

 

 

そこで、喫茶店で飲むコーヒー1杯の値段はさて置き、昭和39年の出来事を思い出して見ました。

 

昭和39年の5月、当時の若者に、ものすごい影響を与えることになる『平凡パンチ』が創刊されました。

この『平凡パンチ』に影響を受けた世代も、今では、60代、70代の高齢者になっています。

 

1964年、昭和39年といえば、やはり『東京オリンピック』です。

94の国と地域が参加したスポーツの祭典で、日本は、金メダルを16個、銀メダルを5個、銅メダルを8個獲得しました。

 

セリーグでは阪神タイガース、パリーグでは南海ホークスがリーグ優勝を飾り、大阪の北に本社のある阪神電鉄と、南に本社のある南海電鉄が対決するということで、この年の日本シリーズをスポーツ新聞は、『御堂筋シリーズ』と囃し立てていました。

 

東海道新幹線が全面開通して、名神高速道路も、ほぼ全線開通した年です。

西郷輝彦のデビュー曲『君だけを』がヒットして、少年サンデーに『オバケのQ太郎』の連載が開始され、NHKで『ひょっこりひょうたん島』の放映が始まりました。

 

平凡パンチ1964 (平凡社新書)

平凡パンチ1964 (平凡社新書)

 

 

昭和39年(1964年)の5月に創刊した「平凡パンチ」は、日本初の若い男性向け生活支援型週刊誌でした。

1964年、昭和39年といえば、東京オリンピックが開催された年で、日本経済が、ものすごい勢いで成長していた時代です。

 

エカワ珈琲店の店主は、おとなしくて引っ込み思案で晩生(おくて)の中学1年生でしたから、もちろん、平凡パンチの存在など、創刊当時はまったく知りませんでした。

その頃、普通の中学生が読む雑誌には、少年マガジン・少年サンデー・中一コース・中一時代などがありました。

エカワ珈琲店の店主も、普通の中学生でしたから、それらの雑誌を愛読していました。

 

高校生になってからは、時々にですが、親に隠れて、平凡パンチを購入するようになりました。

そのころになると、平凡パンチの成功に誘発されて、週刊プレイボーイやF6セブンといった男性週刊誌も発行されていましたが、何故か平凡パンチを購入していました。

 

高校を卒業してからは、正々堂々と、平凡パンチを毎週購入していました。

その頃の平凡パンチには、ものすごい勢いがありました。

広告を出稿するのに数ヶ月待ちが当たり前だと、何かの雑誌で読んだ記憶が残っています。

 

平凡パンチを欠かさず愛読していたのは、20歳を少し越したくらいまでです。

いつの頃からか、感覚が合わなくなってしまって、平凡パンチから離れてしまいました。

 

今から考えると、平凡パンチという週刊雑誌は、当時20歳前後だった若者に、あの時代の風を送ってくれていたのだと思います。

そして、その風を感じなくなった時点で、平凡パンチを卒業したのだと思っています。