古希3ブログ

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昭和33年/3丁目の夕日の時代

映画『3丁目の夕日』の舞台となった年が、昭和33年です。

戦後が終わったということでしたが、日本は、まだ貧しかった時代です。

昭和31年、32年と続いた『神武景気』が終了して、『鍋底景気』と呼ばれる経済の低迷期に入っていました。

 

低迷期といっても、経済は成長を続けていました。

ただ、その成長スピードが鈍化していただけです。 

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この年は、経済の発展途上国から中進国への丁度移行期で、少し一服していた時にあたります。

ですが、翌年、昭和34年から始まる、日本の高度経済成長の足音が、微かですが聞こえて来ていました。

 

21世紀の日本と違って、貧乏人とお金持ちとの間に、歴然とした差別があった時代で、正真正銘の格差社会が存在していた時代です。

翌年から始まる、長期間の高度経済成長によって、この格差社会がほぼ解消されて、国民のほとんどが中流だと思っている経済大国となった次第です。

 

経済は成長を続けていましたが、21世紀の日本と違って、社会福祉制度が充実していない時代ですから、ちょっとでも運が悪ければ、惨めな生活が待っている時代でした。 

特選三丁目の夕日・12か月 1月~3月

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「戦後が終わった」と言われ始めていた昭和33年頃には、正真正銘の格差社会が存在していました。

家賃数百円で、4畳半一間のボロボロ長屋に、一家数人が暮らしているというような光景が、都会のあっちらこっちらに存在していました。

 

そこでは、一家の主の三百数十円の日当と妻の僅かな内職収入で、一家数人が何とか暮らしていました。

21世紀の日本のような充実した社会福祉制度の存在しなかった時代ですから、一家の主が病気かケガで働けなくなってしまったら、万事休すになってしまいます。

 

発展途上国のスラム街と同じような状況が、昭和33年頃の日本に存在していたということになります。

田舎では仕事がなくて食べていけないので、都会に出てくるのですが、高度経済成長前夜のことですから、低賃金・長時間労働の日雇い仕事にしか従事できなかったわけです。
 

21世紀の日本でも、格差社会が問題になっていますが、昭和33年頃の日本には、今とは比べものにならないような貧富の差が存在していました。

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『三丁目の夕日』の時代、昭和30年代の前半から中頃は、日本が戦後経済復興期の真っ只中に在った時代です。

エンゲル係数という言葉が徘徊していたわけですから、日本国中に「貧しさ」があふれていたのだと思います。

 

しかし、「貧しさ」に負けることなく、皆、必死になって働いていた時代です。

必死になって働けば、昨日よりも今日、今日よりも明日と、必ず豊かになれた時代でした。

 

未来に希望があるから、皆、必死になって働いたわけです。

その甲斐があって、その後、日本は高度経済成長を続けて、世界有数の経済大国になることができました。

 

その時代、商店街の八百屋さんや薬屋さん、街の洋食屋さんなど、個人経営の店がものすごく繁盛していました。

その中から、スーパーマーケットや外食チェーンへと脱皮する経営者も現れます。

 

「貧しい」けれども、日本国中が夢と希望を持っていた時代で、都会であっても、地域共同体の雰囲気が残っていた時代です。

 

エカワ珈琲店の店主にとっては、ロマンあふれる古き良き時代、そして懐かしの時代です。

しかし、今の年齢で、あの時代に生活したいかというと、「できれば、生活したくない」・「今の時代しか良い」ということになります。