古希3ブログ

エカワ珈琲店とその周辺の出来事、エカワ珈琲店オーナーの思い付き、などなどの記事をエントリーしています。

昭和、20世紀

漫画大好き少年だった小学生・中学生の頃(昭和33年~昭和41年)

昭和22年~昭和24年に生まれた団塊世代の小学生時代は、月刊漫画雑誌と貸本漫画が全盛だったわけですが、その後に続く世代の小学生時代には、もう週刊少年漫画雑誌が創刊されていました。

恋人は緑の風の中は、思春期の少年少女の原風景を描いた映画

有線テレビの日本映画専門チャンネルで、1974年に公開された日本映画「恋人は緑の風の中」を見ました。 先日、有線テレビの日本映画専門チャンネルで「恋人は緑の風の中」を見るまで、この日本映画の存在を知らなかったわけですが、この映画でデビューし…

司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」は、歴史小説的な青春小説なのだと思う

誰でもそうなのだと思うのですが、10代の中頃から30歳前後の頃までの十数年間が、人生で最も読書量の多い時期だと、もうすぐ67歳(2018年の秋で)になる小生は考えています。 小生ですが、この時期、毎週1冊から2冊、多い時で3冊の小説を読んでい…

冷こお物語

昭和の時代、関西地方の喫茶店では、「冷たいコーヒー(アイスコーヒー)」を冷こお(レイコー)と呼んでいました。 現在(2018年)、喫茶店・カフェで提供されている「冷たいコーヒー(アイスコーヒー)」は淹れたてを氷で冷やすタイプですが、昭和の時代の冷こ…

1960年頃の商店街と個人商店

1960年(昭和35年)頃の日本、高度経済成長の前夜で、貧富の差が大きくて、貧乏な人が数多く存在していた時代です。その時代、貧乏な人が自営業を営むのは、資金的な理由からものすごく難しいことでした。 店舗を構えて商売を営めるのは資金的に余裕のあ…

喫茶店とコーヒールンバ

1961年(昭和36年)、西田佐知子が歌う「コーヒールンバ」がヒットして、街中の賑やかな所には必ず喫茶店が存在しているようになって、仕事の前に、仕事の合間に、仕事帰りに喫茶店が利用されるようになりました。

なごり雪のメロディーが流れていた1976年

小生、イルカさんの歌う「なごり雪」が大好きです。1回だけ(それも、30年以上前のこと)ですが、イルカさんのコンサートに出かけて行ったこともあります。(小生の地元のコンサート会場でしたが)

「お茶する」場所の変遷

1980年代、「お茶する」といえば、喫茶店でコーヒーを飲むことでした。 待ち合わせに使ったり、時間つぶしの会話の場所に使ったり、昼食やお昼休みの休憩に利用したり、朝食にモーニングサービスを食べたりと、朝から夕方まで便利に喫茶店を利用していた…

紳士服ブランド「ダーバン」のテレビコマーシャルとアランドロン

1970年代、アランドロンが登場する紳士服ブランド「ダーバン」のテレビコマーシャルが頻繁に流れていたのを覚えています。(中身は覚えていませんが)

大河ドラマ「天と地と」を観て、海音寺潮五郎さんの原作を読んだのは昭和44年、高校3年生の時だった

昭和44年の1月~12月の1年間、NHKで放映されていたのですが、観れない週もあったので、それに加えて全体のストーリーも知りたくて、角川文庫版の「天と地と」上下2巻を高校3年生の夏休みに読破したのを記憶しています。

若者たち

1966年(昭和41年)の2月~9月にかけてフジテレビ系列(和歌山では関西テレビ)で、「若者たち」というタイトルの伝説の連続テレビドラマが放映されていました。 最初、それほどでも無かった視聴率が、話が進行するに従って上昇して行って、人気が最高潮…

70年前、40年近く前と現在(2020年)の勤務風景

昭和30年代の大ベストセラー小説、五味川純平さんの「人間の条件」、その第1巻の5ページくらいに、「50人ほども机を並べている広い課内で、真剣に仕事をしている者は少なかった。巨大な会社では、たいていどこでもそうである。定時に出勤して退社する…

ドラマ「ひよっこ」の時代

昭和39年、東京でオリンピックが開催された年、このブログの管理人は13歳で中学1年生でした。 2017年4月~2017年9月の6か月間、NHKで毎日15分間放映された連続テレビドラマ「ひよっこ」の主人公が、地元の高校を卒業して茨城県の田舎町…

This is Coffee(1961年)

コーヒーをテーマにしたドキュメンタリー映像で、1961年のアメリカで制作されたものです。 この映像を制作したのは、Coffee Brewing Instituteというコーヒーの啓蒙団体です。 This is Coffee (1961) 目覚まし時計のベルが鳴って、寝ていた女性が仕方無…

昭和元禄の若者たち

『昭和元禄TOKYO196X年』(東宝配給、1968年東京映画配給)いうモノクロ映画を、有線テレビで最近(2017年7月)観ました。 1968年と言えば、このブログの管理人は高校2年生で、毎夜毎夜、ラジオの深夜放送に熱中していた頃で、この映画に…

昭和35年、その頃の生活世界

昭和35年の大企業に勤務する平均的なサラリーマンの月収は、年齢35歳で約4万2000円、大都市郊外の借家暮らしで、そこから都心の勤務先に通勤するというパターンが一般的だったのだと思います。 通勤電車は、いつも超満員で、乗客を車両に押し込む学…

1966年、日本の人口が一億人を突破して、そしてビートルズがやって来た

若い頃は、NHKのテレビ番組を見る事などほとんど無くて、「NHKの連続テレビ小説て何?」という感じだったのですが、50歳くらいから、時々、面白いと感じる番組も出て来て、還暦(60歳)を過ぎてからは、ほぼ毎日見るようになっています。 連続テレビ…

若者たちの反乱(昭和44年/1969年)

1969年の1月18日から19日にかけて、「東大安田講堂封鎖解除」の模様がテレビで生中継されていました。 その後遺症で、この年、東京大学の入学試験が中止になったわけです。 想い出の流行歌 1969年<昭和44年> アーティスト: オムニバス 出版社/メー…

昭和31年「もはや戦後ではない」から、昭和33年の「テレビが我が家にやって来た」まで

「もはや戦後ではない」は、昭和31年の経済白書に使われていた言葉で、当時の流行語です。 日本の社会には貧しさが蔓延していたのですが、何となく、未来に光が見え始めていた時代だったのだと思います。 昭和33年、エカワ家にテレビがやって来たわけで…

加山雄三主演の青春映画「若大将シリーズ」のライフスタイルにあこがれていた頃

昭和41年(1966年)は、「君といつまでも」・「青い星屑」・「お嫁においで」と、加山雄三の歌が連続してヒットした年です。 この年は、あの「ビートルズ」が来日した年でもあります。

昭和48年(1973年)、「同棲時代」という言葉が流行っていた頃の夏休み

その昔、半世紀近く前のこと、昭和48年(1973年)の夏のお話です。 学生だったエカワ珈琲店の店主は、夏休み、製氷と低温倉庫を商っている会社でアルバイトをしていました。 65歳の現在も20歳頃の若かった時も、暑さに弱いので、暑さ逃れを兼ねての…

東京オリンピックが開催された年、そして、平凡パンチが創刊した年。

東京オリンピックが開催されの頃(昭和39年/1964年)、喫茶店で飲むコーヒー1杯の値段ですが、60円くらいだったと覚えています。 何故、覚えているのかというと、エカワ珈琲店の店主の母親は「純喫茶コロナ」という店名の喫茶店(住居兼店舗)を営んで…

バブル経済の時代、それは・・・

1987年2月、民営化に伴い株式上場したNTT株が、放出価格の約2倍、260万円という株価をつけました。 プラザ合意以後の円高に伴う日本経済の停滞に対処するための金融緩和と低金利政策によって、民間にお金が余っていた時代です。

アメリカの青春映画「卒業」に登場した喫茶店「カフェ・メド(Caffe Med)」が閉店するそうです。

小生の高校時代、ラジオの深夜放送で、ある時期、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が頻繁に流れていたのを覚えています。 アメリカの青春映画「卒業」の主題歌が、サイモン&ガーファンクルが歌う「サウンド・オブ・サイレンス」でし…

風に吹かれて/ボブデュランと五木寛之と

『風に吹かれて』という言葉で、五木寛之とボブデュランを連想するのが、団塊の世代です。 風に吹かれて 作者: 五木寛之 出版社/メーカー: ベストセラーズ 発売日: 2002/05 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (3件) を見る エカワ珈琲店の店主は、読売…

思い出の1962年(昭和37年)

昭和37年4月、『おそ松くん(作・赤塚不二夫)』の連載が週刊少年サンデーで始まりました。 小学校の5年生で、その頃、比較的裕福な家庭環境にあったエカワ珈琲店の店主は、毎週、本屋さんから「週刊少年サンデー」を配達してもらって、読んでいました。

「暮らしの手帳」伝説の編集長、花森安治さんの自称「お粗末なアイデア」/昭和36年

集英社新書『なぜ通販で買うのですか』(著者.斉藤駿)からの引用です。 電器メーカーも、このごろは、売るものが無くなったとみえて、ヘンテコなものを売り出し始めた。 電気米とぎキカイとか、電気バサミとか、電気カツオブシ削りとか、電気オカン器とか・・…

週刊少年マガジンと週刊少年サンデーが創刊された頃

昭和31年、新潮社から『週刊新潮』が発売されて、それがきっかけで週刊誌を発行する出版社が続出、昭和34年3月26日の『週刊少年マガジン』創刊、4月5日の『週刊少年サンデー』創刊で、漫画雑誌の世界にも週刊化の波が訪れました。

テレビが我が家にやって来た

「テレビが我が家にやって来た」、団塊の世代なら誰でも経験したことのある出来事です。 エカワ珈琲店の店主が「テレビが我が家にやって来た」を経験したのは、昭和33年(1958年)の5月頃のことで、その時代、まだまだ珍しかったテレビ受像機が、我が家…

昭和33年/3丁目の夕日の時代

映画『3丁目の夕日』の舞台となった年が、昭和33年です。 戦後が終わったということでしたが、日本は、まだ貧しかった時代です。 昭和31年、32年と続いた『神武景気』が終了して、『鍋底景気』と呼ばれる経済の低迷期に入っていました。