年老いた珈琲豆焙煎屋は、39歳の時に脱サラして、実家の母親が営んでいたコーヒー豆自家焙煎店を引き継いで、最初の頃は事業欲もあったのですが、挫折を繰り返しているうちに事業欲も失せてしまって、50歳前後の頃からはセミリタイア的な暮らし・働き方…
1967年(昭和42年)1月、前年(1966年)の秋、別冊文芸春秋に発表した『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞した五木寛之が、当時、若い男性に人気のあった『週刊平凡パンチ』に、昭和42年3月から10月まで連載した教養小説、それが『青年は荒野を…
小生(年老いた珈琲豆焙煎屋)、69歳ですから公的年金を受給しています。 サラリーマンをしていたのは15年足らずで、後は自営業者ですから、公的年金の主体は国民年金です。 独立自営の個人事業主(フリーランス)で、お金に追いまくられていた時期も長かっ…
新型コロナウィルス感染症パンデミックの悪影響を受けて、生産性の低い中小企業や零細生業の商売人たちは、その想定外の出来事に戸惑っています。 年老いた珈琲豆焙煎屋は、夫婦2人だけで零細生業の小さな自家焙煎コーヒー豆小売店を営んでいます。 規模の…
「夜空の星」の演奏で物語が始まる『エレキの若大将』ですが、加山雄三主演の映画『若大将シリーズ』の中で一番面白いと年老いた珈琲豆焙煎屋は思っています。 でも、小生は、10数作品ある映画『若大将シリーズ』の全作品を観ているわけではありません。 …
喫茶店から衣替えして、自家焙煎コーヒー豆小売専門店に業態転換したのが1989年(平成元年)です。 当時、喫茶店の売上が日商1000円~3000円くらいにまで落ち込んでいて、毎日・毎日、赤字が積み重なっている状況で、思い切ってコーヒー豆焙煎機を…
数年前、『おばさんとおじさん(orおじいさん)の店』というタイトルの記事を、はてなブログにエントリーしたことがあります。 年老いた珈琲豆焙煎屋が64歳で、連れ合いが56歳の時でした。それから数年の年月が経過して、69歳と60歳になっていますが、…
年老いた珈琲豆焙煎屋は、その昔、大きな組織で約14年間働いていました。 2011年の秋、60歳になって、大きな組織で働いていた頃の年金を、僅かなのですが給付してもらえるようになって、それが年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦が営んでいるエカワ珈琲店の財…
昭和の頃、平均的な定年年齢は60歳くらいだったと記憶しています。 それが65歳になって、2020年代には70歳定年も当たり前になるかもしれません。 2017年のデータですが、男性の場合、60歳~65歳では8割の人が、65歳~69歳で5割以上…
楽しく働いて、それなりの収入を手にすることができて、初めて、幸せな自営業者になることができると考えています。 でも、そのような幸せな自営業者は、それほど多くは居ないような気がします。 これまでの自営業者経験から、幸せな自営業者となるには、そ…
出発(旅立ち)の時に一番似合っている飲み物、それはコーヒーなのかもしれません。 ニューヨークに出て来て、グリニッジ・ヴィレッジ周辺のフォーク・ソングを聴かせるクラブやコーヒーハウスなどで弾き語りをしていたボブデュランが、喫茶店でコーヒーを飲ん…
東浩紀さん、1971年東京生まれで、株式会社ゲンロンの創業者で批評家で作家、「存在論的、郵便的」で1998年「第21回サントリ学芸賞、思想歴史部門」を受賞、その後、三島由紀夫賞や毎日出版文化賞、紀伊国屋じぶん大賞などを受賞、著書多数と、『…
年老いた珈琲豆焙煎屋は、夫婦2人だけで零細生業パパママ経営の自家焙煎コーヒー豆小売店を、もう彼是30年間以上営んでいます。 ですから、零細生業商売の市場が、コモディティー市場からコミュニティー市場へと、完全にシフトしてしまっているのを肌で感…
この記事は、2007年5月23日にエントリーした記事の再掲載です。 若い頃、本屋さんを営みたいと考えるほど、本屋さんが好きでした。それが、30代の後半、脱サラをしてから15年間くらい、ほとんど本屋さんに行かなくなっていました。 昨年(2006…
60歳までにリタイア(or退職)できる人は、ものすごく経済的に恵まれている人だと思います。残り20年~30年の人生を、働いて稼がなくても悠々自適で暮らしていけるだけの貯えか魔法の財布(受動的収入)を持っているわけですから。 60歳~65歳でリタイ…